鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

コーチングの基本は選手に主体がある

[要旨]

千葉ロッテ監督の吉井さんは、コーチ時代は、コーチングは選手に主体があると考え、選手自身に練習方法を考えさせ、それを実践させるようにしていました。もし、「社会的勢力」が強い立場にあるコーチが、強い口調で選手に指示を出すと、選手に悪い影響を与えることになるので、それは避ける必要があるということです。


[本文]

今回も、前回に引き続き、千葉ロッテマリーンズ監督の、吉井理人さんのご著書、「最高のコーチは、教えない。」を読んで私が気づいたことについて説明したいと思います。前回は、プロ野球選手として優れた成績を残した人が、そのまま指導者になることがあるが、そのような人は、必ずしも指導者としてのスキルあるとは限らないため、指導者のライセンス制度をつくるといった対策が必要であると、吉井さんは考えているが、これは、ビジネス界にもあてはまるということについて書きました。

これに続いて、吉井さんは、コーチングは選手に主体があると考えた上で、コーチは選手に接しなければならないということを述べておられます。「選手をやる気にさせるとき、僕はこんな言葉を使った。『ほな、やりなはれ』上から『やれ』とは言わない。選手に、『おまえはどうしたい?』と聞いて、選手が自分の考えを口にしたら、『ほな、やりなはれ』という。こちらにプランがなく、選手を信頼している場合は、物事の判断を選手に一任する。コーチとしては、『好きにやりなはれ』としか言いようがない。(中略)

ただでさえ、コーチと選手には、『社会的勢力』の違いがある。社会的勢力とは、人々の行動に大きな影響を与える潜在的能力を指す社会心理学用語だ。年齢や実績の差を考えると、どうしてもコーチの社会的勢力が上になってしまう。しかし、コーチングの基本は、選手に主体があることだ。コーチが強い言葉を使いすぎると、上下関係が余計に強調され、味方であるはずのコーチが、選手にプレッシャーをかけることになってしまう。それは注意しなければならない」(34ページ)

今回の吉井さんの指摘も、ほとんどの方が同意すると思いますが、これを実践することは、少し難しいと、私は考えています。その理由のひとつは、選手がどうするかを選手に任せた時、結果的にそれが間違ってしまうかもしれないので、任せる側としてはそれを避けたいと考え、自分の考えを指示したくなってしまうからです。

もうひとつは、選手の考えに任せるということは、自分の考えが反映されないことでもあるので、自分の役割は不要になると考えてしまうからです。この2つの観点から見れば、コーチは損な役回りと考えることができます。でも、吉井さんも述べておられるとおり、コーチングの基本は選手が主体であり、また、チームの成果を高めるという観点から考えれば、コーチはある意味縁の下の力持ち的な役回りに徹する必要があると思います。そして、この考え方は、ビジネスや、その他のあらゆる組織に共通する考え方だと思います。

2023/5/9 No.2337