[要旨]
千葉ロッテ監督の吉井さんによれば、サッカー界では、教えたことを選手ができなければ、それはコーチの責任と考えるそうです。しかし、野球界では、教えたことを選手ができなければ、それは選手の責任と考えているコーチが多いので、それは変えなければならないと考えているそうです。
[本文]
今回も、前回に引き続き、千葉ロッテマリーンズ監督の、吉井理人さんのご著書、「最高のコーチは、教えない。」を読んで私が気づいたことについて説明したいと思います。前回は、コーチは、単に、監督の指示を選手に伝えるのではなく、現場レベルで選手が考えていることと、マネジメントの立場で全体を見て監督が考えていることの間の齟齬を、翻訳して埋める役割があるということについて説明しました。そして、吉井さんは、エピローグで、サッカーのコーチと、野球のコーチの違いについて述べておられます。
「サッカーのコーチは、自分が教えたことを選手ができなければ、それは選手の責任ではなく、コーチの責任であると考える。だから、ひとつの方法でできるようにならなければ、別の方法で指導しなければならない。ということは、ひとつのスキルを指導するために、無数の指導方法を知っていなければならない。選手のタイプは無限だ。その組み合わせを考えると、指導方法の引き出しを増やす努力を怠ることは、コーチとしての存在意義を放棄することになる。コーチが学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない。
しかし、野球界では、教えたことができないのは選手の責任と考える。その考え方の違いに愕然とした。よく考えれば、野球界の非常識さは歴然としている。なぜなら、コーチは人を導くのが仕事だからだ。人に考えさせ、できるようにさせるのが使命だからだ。それなのに、できないのは選手のせいだと開き直るのは、職務放棄としか言いようがない。野球界を中心に、世の中にはそういうコーチが多い。スポーツ界だけではなく、ビジネスの世界でも同じようなコーチ(上司)は少なくないはずだ。僕はそのようなコーチがいなくなればいいと思っている」(261ページ)
かつて、経済成長が続いていた日本では、多くの会社は従業員を大量に採用していました。そういう時代は、すべての従業員に同じようなことを教え、同じようなことができる従業員を増やせばよかったのでしょう。そして、そのような環境では、「教えたことができないのは従業員の責任」と考えることができたのかもしれません。でも、現在は、VUCAの時代であり、複雑な経営環境に対応できる人材を、丁寧に育成しなければなりません。そのような環境では、「教えたことができないのは上司の責任」と考えることが適切といえるでしょう。
これは、端的に言えば、現在は、従業員を育成できる能力が業績に直結しており、部下を育成能力が経営者や上司にを求められている時代になったと言えるのでしょう。とはいえ、現在、「経営者」や「上司」になっている人たちは、丁寧な人材育成を受けた経験がない人も多いと思います。そういう面からは、自分自身が受けたことがない丁寧な人材育成を、自分が実践しなければならなくなったという点では、少したいへんかもしれません。ただ、経営環境が変わったわけですから、それに対応した活動を避けることはできないということは、吉井さんのご指摘の通りでしょう。
2023/5/21 No.2349