鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

良い人材は雇うのではなく育成するもの

[要旨]

公認会計士の金子智朗さんによれば、経営者の中には、自社には優秀な従業員がいないと嘆く人が多いようですが、現実には優秀な従業員を雇うことは宝くじを当てるくらい困難であり、いつまでも青い鳥を追いかけるより、今いる人材を育成することの方が早道だということです。


[本文]

今回も、前回に引き続き公認会計士の金子智朗さんのご著書、「同じモノを売っているのに、儲かっている会社、儲かっていない会社」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、金子さんによれば、日本の会社の生産性が低いのは、日本の会社のサラリーマンがスキルを高めるための努力をしていないからでるということについて説明しました。

これに続いて、金子さんは、日本の会社の従業員のスキルが低い要因は、経営者や幹部が従業員を育成しないからということについて述べておられます。「超大企業から関連会社に天下ったある社長で、『ウチの従業員はバカばかりだ』と人目をはばからず口にする人がいました。頭がいい(と思っている)トップに限って、従業員はみな無能に見えるのかもしれません。これは人材が不足しがちな中小企業に限ったことではありません。有名大学ばかりから好きなだけ人を採用できる大企業であっても同じです。

『有能な人材がいない』と嘆く人は、決まって『どこかに良い人いないかね』と言います。しかし、私は『良い人』を採用できた会社を見たことがほとんどありません。鳴り物入りで中途採用されたような人であっても、実際は全く使えなかった例ばかりです。もちろん、『良い人』はどこかにいるでしょう。しかし、そんな出来合いの『良い人』を採用できる確率は宝くじ並みです。正に青い鳥です。いつまでも青い鳥を追いかけるより、今いる人材を練習させ鍛えた方がはるかに早道です。

ある会社の営業部長が、『これからは提案型営業をやれって言っているのに、いつまで経っても御用聞きのような営業しかできないんだよ、ウチの奴らは』と言って嘆いていたことがありました。しかし、『やれ』と言っただけで、今までやったこともない提案型営業ができるわけがありません。できると考える方がおかしいのです。私がその会社でやったことは、2日がかりのロールプレイ方式の“練習”です。まず、受講者をいくつかのグループに分け、全グループに『こういうことで困っているので、御社の製品を何か提案して欲しい』というお題を出します。

そして、翌日の朝一番から提案のプレゼンをしてもらいます。そのとき、顧客の役には社長を含む役員数人になってもらいます。役員に顧客役をやってもらうのは、おカネを握っている人ならではの考え方を担当者レベルの人たちに分かってもらうためです。そして、『君、技術的なことばかり言っているけど、どれだけの費用対効果があるのかさっぱり分からないよ。作り直して、今日の午後1時にもう一回持ってきて』というような厳しいことを、あえて言ってもらうようにします。

そうやって、強面の役員に何度もダメ出しを食らい、何度も作り直すことを通じて、提案型営業ができるようになるのです。これが練習です。研修などという生易しいものとは訳が違います。こういう練習もさせずに、『何で提案型営業ができないんだ』と言うのは、一度もゴルフをやったことのない人に向かって、『何でドライバーで真っすぐ250ヤード飛ばせないんだ』と言っているのと同じです」(187ページ)

経営者としては、従業員が優秀であることは望ましいと考えるでしょう。ところが、どういうわけか、それほど難しいことではないのにもかかわらず、多くの人が見落とちがちなことがあると、私は感じています。それは、優秀な人は、誰かに雇われようとしないということです。これを逆に言えば、誰かに雇われようとする人は、自力で仕事ができるほど優秀ではないということです。そう考えれば、従業員を雇えば、経営者には、その従業員を育成しなければ、自らが望む能力を身に付けることはできないということは明らかです。

逆に、優秀な従業員を雇いたいと望む経営者は、自らの役割を果たす意思がないということも言えます。ところで、自社の従業員を、独立できるくらい優秀に育成することで、自社の業績を高めている会社があります。その代表的な会社はリクルートです。同社に勤務すれば、独立できる能力を身に付けることができるということが社外に広く認知されれば、自分の能力に自信のある人が多く勤務しようとします。もちろん、そのような意欲的な人は、数年経てば独立してしまいますが、常に挑戦的な人が同社に入ってきます。

したがって、優秀な従業員が欲しければ、自社が従業員をステップアップできる環境を提供することが条件のひとつになると言えるでしょう。とはいえ、中小企業では、そこまでのことはできないということも現実だと思います。そこで、最低限、従業員を自社で育成しようとする姿勢を持つこと、そして、働き甲斐のある職場をつくるという姿勢を持つことが、少しでも能力の高い、または、意欲的な従業員を自社に迎えることができるようになる方法だと思います。

2026/6/29 No.3484

 

日本のサラリーマンは練習をしない?

[要旨]

公認会計士の金子智朗さんによれば、日本の会社の生産性が低いのは、日本の会社のサラリーマンがスキルを高めるための努力をしていないからだということです。これは、外科医が時間があれば縫合の練習をしたり、プロゴルファーが調子の悪いときは夜遅くまでパッティングの練習をしたりしていることと比較すれば、日本の会社のサラリーマンは、あまりスキルを高めるための努力が少ないということが分かるということです。


[本文]

今回も、前回に引き続き公認会計士の金子智朗さんのご著書、「同じモノを売っているのに、儲かっている会社、儲かっていない会社」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、金子さんによれば、日本の会社の生産性が低いのは、会社で行われている仕事のうち、恐らく5割以上はやらなくていい試行錯誤の時間であり、なぜ、そのような状態になっているかというと、知識やスキルが不足している人はそれ以上のレベルを知らないからそのことに気づかないのであり、役員や従業員の知識やスキルが不足が生産性の低さの根本的な原因であるということについて説明しました。

これに続いて、金子さんは、日本の会社従業員の中に、自らスキルを高めようとしている人は少ないということについて述べておられます。「知識やスキルを上げるためには、日々トレーニングや練習を積む必要があります。ところがどうでしょう。企業やそこで働く人たちは、どれだけ練習しているでしょうか。数ある職業の中で、最も練習をしない職業人は間違いなくサラリーマンです。

たとえば、外科医は、時間さえあれば針と糸を使って縫合の練習をします。新しい手術方法が開発されれば文献を読みあさり、実験用の遺体や練習器具などを使って手術の練習をします。プロ・ゴルファーは、試合前には練習ラウンドを行い、コースの状況を入念にチェックします。試合中に調子が悪いショットがあれば、試合終了後もまた練習をします。毎晩欠かさずパッティングの練習をし、100球連続でパットが入るまでは寝ないなどという話もよく聞きます。

一方、サラリーマンの中で、仕事に必要な知識やスキルを日々鍛え続けている人がどれだけいるでしょうか。また、そのような機会を従業員に与え、厳しく練習させている企業がどれだけあるでしょうか。考えてみてください。学生時代、クラプ活動や受験勉強などをしていた頃は、日々練習や勉強をし、自らを鍛え続けていたはずです。それに対して、社会人になってからはどうでしょうか。下手をすると、何の練習もしていないかもしれません。

練習していたとしても、学生時代の部活の方がはるかに真剣に練習していたのではないでしょうか。学生時代の部活動は所詮は遊びです。遊びに対してあれだけ真剣に練習したのに、仕事に対してほとんど練習しないのはおかしなことです。人間、何歳になっても、どれだけ偉くなっても、練習していないことはできません。ほとんど練習場にも行かない月1ゴルファーが、いいスコアを出せるはずがないのです」(185ページ)

弁護士の向井蘭さんも、向井さんのポッドキャストで同様のことをお話ししておられました。すなわち、ここ20年間で、ゴルフの道具が進化してきて、飛距離が出るようになったので、いろいろな大会でゴルフのスコアがよい人たたくさん現れるようになった。ところが、よい道具を使ってよいスコアを出す人は、トップアマチュア以上の人であって、多くのアマチュアはスコアはよくなっていない。

それは、ゴルフがうまくなるよう練習していないからであって、道具の良し悪しの以前で問題がある。これと同様に、最近は、人工知能が会社の業績を高めるためのツールとして登場してきたが、それを使えるようにするために、自らのスキルを高めようとするビジネスパーソンはあまりいない。すなわち、情報技術は発展しているものの、その前に。それを使いこなすためのスキルを習得しようとする人がいない会社では、業績は向上しないということです。

私も、中小企業の事業改善のお手伝いをしていて、同様のことを感じます。上から目線で恐縮ですが、多くの会社は、端的に言えば、情報技術を導入するだけで業績が改善すると考えているようです。でも、基本的には、情報技術の導入で業績を改善するには、戦略も合わせて変えなけばなりませんし、そのために役員・従業員もスキルを高めなければなりません。

でも、仕事のやり方を変えたり、スキルを高めたりすることに踏み込めないために、ライバルとの差が広がってしまうという会社は少なくありません。確かに、いまの日本のビジネスパーソンの多くは懸命に仕事に取り組んでいるということは事実だと思います。ただ、先進7か国の中で生産性が最下位という点に目を向け、頑張る方向を変えなければ、状況も変わらないことも事実といえるでしょう。

2026/6/28 No.3483

 

『知らないことを知る』ことは難しい

[要旨]

公認会計士の金子智朗さんによれば、日本の会社の生産性が低いのは、会社で行われている仕事のうち、恐らく5割以上はやらなくていい試行錯誤の時間であり、なぜ、そのような状態になっているかというと、知識やスキルが不足している人はそれ以上のレベルを知らないからそのことに気づかないのであり、役員や従業員の知識やスキルが不足が生産性の低さの根本的な原因であるということです。


[本文]

今回も、前回に引き続き公認会計士の金子智朗さんのご著書、「同じモノを売っているのに、儲かっている会社、儲かっていない会社」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、日本生産性本部の資料によれば、日本の2024年の1人当たり労働生産性(就業者1人当たり付加価値)は、OECD加盟38か国中29位で、G7では最下位になっていますが、その要因は、日本は年功序列制度が残っており、知的労働に適していないこと、経営層の国際経験が少ないため、情報化武装の重要性を認識しておらず、競争力が低いことなどが考えられるということについて書きました。

これに続いて、金子さんは、日本の会社の生産性が低い原因は、従業員のスキル不足であるということについて述べておられます。「生産性が低いというのは、同じことをするにしても時間がかかるということです。では、なぜそんなに時間がかかるのでしょう。その大きな原因の一つは、知識不足、スキル不足です。会社で行われている“仕事”のうち、おそらく5割以上はやらなくていい試行錯誤の時間です。

『いや、そんなことはない』と反論されるかもしれませんが、知識やスキルが不足している人はそれ以上のレベルを知りませんから、知識やスキルが不足している人ほど、不足していることを自覚していません。私自身がそうでした。私は、元々会計とは全く関係のない仕事をしていましたが、あることをきっかけに会計に興味を持ち、それが高じて公認会計士になりました。公認会計士になってはじめて、かつての自分がいかに会計について何も知らなかったかということがよく分かりました。

新聞の経済面も、読んでいるようで実は何も読んでいませんでした。それだけ、『知らないことを知る』というのは難しいことです。一般の会社に入るのに、専門知識や特別のスキルが問われることは通常ありません。少なくとも今までの日本の会社では、学位の価値はないに等しいほどの低さです。私が新卒で入社する時も、出身学部や語学力さえも特に間わないと言われて、かえって複雑な気持ちになったものです。

このことから分かるように、多くの会社は、専門知識や特別なスキルを持たない人たちが集まっているところです。持ち合わせているのは一般常識程度です。後は入社してから自然成長的に仕事を覚え、組織として一定の成果を上げる奇跡の素人集団です。しかし、知的資本の重要性が増す今後は、いつまでも奇跡を期待することはできません。やらなくてもいい試行錯誤に時間を浪費して仕事をしている気になっている場合ではありません」(184ページ)

金子さんは、「知識やスキルが不足している人ほど、(知識やスキルが)不足していることを自覚していません」と述べておられますが、私も、中小企業の事業改善のお手伝いをしてきた経験から、同じようなことを感じています。「岡目八目(おかめはちもく)」ということわざがありますが、当事者(私自身も含まれます)には自分自身の改善点にはなかなか気づきにくいようです。

例えば、私が、ある土産物店の事業改善のお手伝いをしたときのことですが、その店は、毎月、実地棚卸をしていました。その一方で、毎月、棚卸減耗を計上しているわけではありませんでした。実地棚卸の主要な目的の1つは、帳簿上の在庫量と実際の在庫量の差異を調べ、実際の量が少ない時は、それを費用(棚卸減耗)として計上することです。

この棚卸減耗の計上は、最低限、原則として会計年度の末日に行う必要があるものの、会計年度の途中であっても、実地棚卸を定期的に行うことで、より正確な会計処理を行うことができます。しかし、前述した会社では、実地棚卸の都度、帳簿上の在庫量と実際の在庫量の差異を費用計上しているわけではなく、経理担当者が、「実地棚卸は毎月行うもの」という原則を知っていただけで、その目的を理解していなかったために、単に、毎月、実地棚卸を行うだけにしていたようです。

そこで、私は、その会社では商品数の回転数が速いことから、実地棚卸は3か月に1度だけ行い、同時に、実地棚卸をした結果に基づいて棚卸減耗を計上するように提案しました。そして、棚卸減耗が大きいと感じた場合には、毎月、実地棚卸をして、棚卸減耗が大きくならないような対策を講じればよいとお伝えし、同社で受け入れてもらえました。その結果、実地棚卸の負担は3分の1になり、しっかりと棚卸減耗も、年に4回、計上するようになりました。

この事例はほんの1つですが、部外者から見ればおかしいと気づくことが、当事者ではなかなか気づかないことは少なくないようです。金子さんも、公認会計士になったことで、それまで自分が分かっていなかったことが多かったと述べておられましたが、自社の事業には改善の余地があるかもしれないと考え、外部専門家などに相談するだけでも、固定費を削減するヒントが見つかる可能性が高いと、私は考えています。

2026/6/27 No.3482

 

日本の労働生産性は先進7か国で最下位

[要旨]

日本生産性本部の資料によれば、日本の2024年の1人当たり労働生産性(就業者1人当たり付加価値)は、OECD加盟38か国中29位で、G7では最下位になっていますが、その要因は、日本は年功序列制度が残っており、知的労働に適していないこと、経営層の国際経験が少ないため、情報化武装の重要性を認識しておらず、競争力が低いことなどが考えられます。


[本文]

今回も、前回に引き続き公認会計士の金子智朗さんのご著書、「同じモノを売っているのに、儲かっている会社、儲かっていない会社」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、金子さんによれば、かつての日本の製造業は、製品を安く大量に生産することで、先進国に対して優位性を発揮していましたが、日本人の生活水準が向上し、その優位性を発揮できなくなった現在は、製造業といえども、最終工程である製造ではなく、もっと上流の製品企画や設計、もしくはマーケティングなどの知的労働で勝負しなければならないということについて説明しました。

これに続いて、金子さんは、日本の労働生産性は低いということについて述べておられます。「ドラッカーも、ポスト資本主義社会において最も重要なのは労働生産性の向上であることを強調しています。と同時に、労働生産性に関しては非常に悲観的な見方をしています。特に、知識労働者やサービス労働者の労働生産性の低さは、おそるベき低さだと指摘しています。ドラッカーの指摘は米国に関するものです。日本はそれよりもはるかに深刻な状況にあります。

労働生産性本部の国際比較調査(2010年版)によれば、日本の労働生産性は経済協力開発機構(OECD)加盟33か国中22位です。1998年以来11年ぶりに前年水準を割り込み、順位も前年から一つ落としています。主要先進7か国(G7)の中では1970年以降ずっと最下位です。日本の労働生産性は金融危機を境にさらに大幅に低下しており、低下幅もG7の中で最大になっています。業種別に見ると、製造業はデータが得られたOECD加盟22か国中第6位、G7の中では米国に次ぐ第2位と健闘しています。

しかし、『物作りニッポン』を自認する日本が、製造業で米国よりも下というのは、少々ショッキングな話です。サービス産業に目を向けると、その労働生産性は惨憺たるものです。卸小売でOECD主要21か国中17位、飲食宿泊で同20か国中15位と、非常に立ち遅れています。米国と比ベるとサービス業全般にわたって、米国の4割~5割程度の水準しかなく、大きく水を開けられています。米国をして『おそるべき低さ』と嘆いたドラッカーに言わせれば、この日本の状況は『ありえない低さ』かもしれません。

この事実から類推すれば、製造業でも、その内部に目を向ければ、間接部門や営業部門などの非製造部門の生産性がかなり低いことが想像できます。ドラッカーが指摘する知識労働者やサービス労働者の労働生産性の低さを間接的に裏付けていると言えるでしょう。これでは日本の国際競争力がどんどん低下するのは当然です。さらに深刻なのは、労働生産性が最も重要な時代にもかかわらず、労働生産性が深刻なまでに低いというこの事実を自覚せず、労働生産性の向上に本気で取り組もうとしていないことです」(177ページ)

改めて直近の日本の労働生産性について見てみると、日本生産性本部の資料によれば、日本の2024年の1人当たり労働生産性(就業者1人当たり付加価値)は、98,344ドル(935万円、購買力平価換算)で、OECD加盟38か国中29位(G7で最下位)だそうです。製造業では、80,411ドル(1,188万円、為替レート換算)で、OECD加盟35か国中20位だそうです。いずれも2010年の状況とあまり変わっていないようです。この要因については、複数の要因が複雑にからみあっており、端的に述べることは難しいと思いますが、私は、2つ挙げたいと思います。

1つ目は、かつて、日本が強みを発揮する要因だった年功序列が、今は弱みになっているということです。年功序列では、経験の長い従業員ほどノウハウの蓄積が多く、事業への貢献の度合いも大きいため、経済成長が続いている間はそれがうまく機能しました。しかし、現在は、経済成長はあまり見込むことができず、経済環境も刻々と変わるため、経験の長いことが必ずしも強みを発揮するとは限らなくなりました。その一方で、年功序列では、経験の長い従業員ほど給料は高くくなりますが、実は、利益にそれほど貢献しておらず、効率性を下げる要因となっています。

2つ目は、情報技術面での競争力が低いことです。例えば、スイスの国際経営開発研究所が発表した2025年版「世界デジタル競争力ランキング」(調査期間は2025年1月~3月)によれば、日本は69か国中、30位でした。G7の中では日本は6番目で、日本より下位の国は40位のイタリアでした。

日本がデジタル競争力が低いのは、「上級管理職の国際経験(69)」、「企業の機会と脅威に対する対応の速さ(69位)」、「企業の俊敏性(69位)」、「ビッグデータや分析の活用(67位)」など、マネジメントやマネジメント層に課題があるようです。文字数の兼ね合いで、これ以上は述べませんが、日本はポスト資本主義社会、すなわち、知的労働の重要性を認識しつつ、組織体制などから改革を進めなければならないことは事実でしょう。少なくとも、20世紀の組織体制や仕事のやり方を変えないままでは、競争に敗れることは間違いないと、私は考えています。

2026/6/26 No.3481

 

ポスト資本主義社会は知的労働で勝負

[要旨]

公認会計士の金子智朗さんによれば、かつての日本の製造業は、製品を安く大量に生産することで、先進国に対して優位性を発揮していましたが、日本人の生活水準が向上し、その優位性を発揮できなくなった現在は、製造業といえども、最終工程である製造ではなく、もっと上流の製品企画や設計、もしくはマーケティングなどの知的労働で勝負しなければならないということです。


[本文]

今回も、前回に引き続き公認会計士の金子智朗さんのご著書、「同じモノを売っているのに、儲かっている会社、儲かっていない会社」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、金子さんによれば、大企業は、豪華客船のように、少し天気が荒れてもびくともしませんが、障害物が現れると、すぐに回避できず、沈没してしまいかねませんが、中小企業は、手漕ぎボートのように、障害物にすぐに気づくことができたり、それを的確に回避できたりすることから、経営環境が不透明な時代は、中小企業が向いているということについて説明しました。

これに続いて、金子さんは、これからは、製造業であっても、知的労働で勝負しなければならないということについて述べてられます。「今でも、『日本の生きる道は物作り』ということがよく言われていますが、この『物作りニッポン』、『技術立国二ッポン』の意味するところはよく考える必要があります。1980年代まで日本が世界経済の中で強かったのは、間違いなく製造業のおかげです。

しかし、1980年代までの日本の製造業の強みは、その多くが生産技術における強みです。オリジナリティのあるものを作り出す技術とは違います。日本が得意だったのは、同じものを、誰よりも上手く、安く、大量に作る技術です。たとえば、技術立国二ッポンの象徴であった半導体は、1980年代には日米間の政治的摩擦に発展するほど、世界を席巻していました。

しかし、日本が作っていた物は、ほとんどが単なる記憶装置であるメモリです。コンピュータの中枢部であるCPUは、当時は米国インテルの独壇場です。日本は、周辺部品であるメモリを高品質で安く作る、便利な下請け工場に過ぎなかったのです。世界の下請け工場として急激な経済成長を遂げた日本は、皮肉にも経済的に豊かになったことによって、もはや世界の下請け工場としてはやっていけなくなりました。

なぜならば、世界の下請け工場という役回りは、豊かになった日本の高い人件費を正当化できないからです。これは先進国の宿命です。世界の下請け工場の役割を東南アジア、韓国、インド、そして中国に取って代わられた今、本当に生き残る道は知的労働しかありません。(中略)日本は2010年に遂に輸入額が輸出額を上回ります。

その大きな理由は、国内製造業が中国などの海外に積極的に生産委託を進めているためです。中国などには、生産受託を専門とする企業が多数あり、正に“世界の下請け工場”の役割を担っているのです。これからは、製造業といえども、最終工程である製造ではなく、もっと上流の製品企画や設計、もしくはマーケティングなどの知的労働で勝負しなければなりません。

それが、これからの日本がやるベき『物作り』です。知的労働において最も重要となるのは知識です。知識を持っているのは人です。これからの時代、最も重要な経営資源は知識を持った人なのです。力ネではありません。カネではなく知識こそ重要な資本であるという考えを、ドラッカーは『ポスト資本主義』と呼びました。これからは、ポスト資本主義の社会なのです」(171ページ)

ポスト資本主義社会では、知的労働が重要になっているという金子さんのご指摘は、特に説明を要することなくご理解いただけると思います。このポスト資本主義社会は、ドラッカーが1993年に書いた本のタイトルでもありますが、その意味は、大きく2つあると、私は考えています。

1つは、知的労働をする人が資産になる、すなわち、人的資本経営を目指す必要があるということです。これは、これまでに何度かお伝えしてきましたが、知的労働が売上や利益の源泉になるのであれば、その知的労働ができる人材を育成することが、かつて、製造業が機械や工場を取得してきたことと同様に、重要であるということです。したがって、これからは、無形の人材を育成することに費用を支出していく必要があることは、明らかです。

2つめは、経営者には、そのような人をマネジメントする能力が求められているということです。これは1つの例ですが、伊藤忠商事では、人的資本経営に注力しており、1人当たり人材投資育成額を徐々に増やしており、2010年度は24.3万円から、2024年度は、60.6万円に増やしています。その結果、労働生産性(=純利益÷従業員数)は、2024年度は2010年度の5.7倍になったそうです。

これは、定量面での評価ですが、同社では、朝型勤務制度を導入して効率を高めようとしたり、男性育休取得を「必須化」したりしています。このような働きかけもあり、同社の女性従業員の合計特殊出生率は、2021年に1.97となり、2010年の0.94から大幅に改善しています。このような事例に対して、伊藤忠商事は大企業だからという恵まれた環境があると考える方も多いと思います。

私も、そういう面はあると思います。また、同社の方針が正しいと言い切るにはまだ時間を要すると思っています。でも、ドラッカーの言うポスト資本主義社会が到来することは間違いなく、人的資本投資に向けたマネジメントを行うことは避けることはできないでしょう。少なくとも、人材育成のための支出と、その効果を見極めながら、適切なコストの支出をマネジメントできる能力は、これからの経営者には必須と言えるでしょう。

2026/6/25 No.3480

 

大企業はピンチを避けることが難しい

[要旨]

公認会計士の金子智朗さんによれば、大企業は、豪華客船のように、少し天気が荒れてもびくともしませんが、障害物が現れると、すぐに回避できず、沈没してしまいかねませんが、中小企業は、手漕ぎボートのように、障害物にすぐに気づくことができたり、それを的確に回避できたりすることから、経営環境が不透明な時代は、中小企業が向いているということです。


[本文]

今回も、前回に引き続き公認会計士の金子智朗さんのご著書、「同じモノを売っているのに、儲かっている会社、儲かっていない会社」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、金子さんによれば、事業規模が拡大すれば、従業員1人あたり売上高は大きくなりますが、従業員1人あたりコストも大きくなるため、従業員1人あたりの利益額はそれほど大きくならないということについて説明しました。

これに続いて、金子さんは、これからは、単なる作業をする事業の需要は先細っていき、知的労働の需要が増えていくので、規模の大きな会社は、その規模が弱点になるということについて述べておられます。「大企業は豪華客船に似ています。波風がほとんどない穏やかなときには、こんなに乗り心地のいい楽な船はありません。少しの悪天候では、揺れることもありません。船内では、皆仕事をしていると言いながら、実はバーで飲んだりホールで踊ったりしています。皆が皆、『きっと誰かがちゃんと操縦しているから大丈夫』と思っています。

皆が『誰かが操縦している』と思っていますから、実際に操縦室を覗いたら誰もいないかもしれません。それでもゆっくりと淡々と船は航海を続けていくのが豪華客船です。ところが大荒れの嵐のときには大変です。視界が悪い中、突然目の前に障害物が現れても、皆、『操縦しているのは自分じゃない』と思っていますから、どう対応していいか分かりません。皆、大きな船の船室に閉じこもっていますから、そもそも目の前の障害物に気が付かないかもしれません。いざ気が付いて舵を切っても、巨大な豪華客船はその向きをなかなか変えることができず、障害物に衝突してしまうかもしれません。

そうなれば、全員海の藻屑です。それに比ベて、小規模な企業は手漕ぎポートのようなものです。ちょっとした波風でもすぐに揺れてしまいます。しかし、全員がオールを手にして、常に周囲の状況に気を配っていますから、障害物が現れてもすぐに発見できます。また、小さくて身軽ですから、すぐに向きを変えることができます。嵐のような不確実な時代に、どちらの企業の方が強いかは明らかです。

大企業病という言葉が使われるようになって久しいですが、これからはよほど特定の業種以外は、企業規模の大きさはむしろ弱点になると思います。多くの人数が必要だと思われている製造業でさえ、本当にそんなに多くの人が必要なのかは疑問です。誰かが考えたものをただ安く高品質に大量に作っていればよかった“世界の下請け工場”であれば、多くの“作業者”が必要ですが、日本の製造業はその役割をとっくに終えています。これからは、間違いなく“考える”側にならなければ生き残っていけませんが、考える仕事は人がたくさんいればいいというものではありません。

実際、高度な知的労働をしている法律事務所や戦略系コンサルティング会社は、多くて数百人止まりです。それ以上の規模になると知的生産性がかえって低下し、提供するサービスの質を保てないからです。コンサルティング会社を名乗りながら数千人もいる会社もありますが、それはシステム構築のような“作業”を主体にしていると言っているようなものです。高度で専門的なコンサルティングは期待できないと思った方がいいでしょう」(167ページ)

大企業病の定義ははっきりとはしていないのですが、最初に大企業病ということばを使ったのは、オムロンの創業者の立石一真さん(故人)と言われています。立石さんは、同社の50周年の1983年に、同社が大企業病にかかっているので、それを一掃することが、同社が50周年に挑戦すべき課題であると指示をしたそうです。現在は、1983年から43年が経っていますので、いまでも大企業病が問題となっているということは、大企業病は古くて新しい問題なのかもしれません。その一方で、大企業病は、必ずしも大企業が冒されるとは限らないと、私は感じています。

すなわち、大企業であっても、従業員の方がずっと意欲的に働いている会社もあるし、中小企業であっても、チャレンジ精神がまったくない会社もあります。ですから、会社の規模にかかわらず、大企業病に冒されてしまうと、1+1>2どころか、1+1<2になってしまい、組織的な活動が無意味なり、業績も下がってしまうでしょう。そうなると、経営者の役割は、常に、従業員が意欲的に活動するよう働きかけを行うことと言えるでしょう。それができなければ、コストは減るどころか、ますます増加してしまいます。そして、近年は、人的資本経営が注目されています。

経済産業省によれば、「人的資本経営とは、人材を『資本』として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」ということです。すなわち、VUCAの時代は、企業価値を高めるためには、人材の重要性が増しているということでしょう。そうであれば、かつては、工場や機械などの有形の資産を持つことが、会社に利益をもたらしていましたが、現在は、人材という無形の資産を大きくすることが、会社に利益をもたらすということになると、私は考えています。

2026/6/24 No.3479

 

規模拡大で売上ほど利益は増えない

[要旨]

公認会計士の金子智朗さんによれば、事業規模が拡大すれば、従業員1人あたり売上高は大きくなりますが、従業員1人あたりコストも大きくなるため、従業員1人あたりの利益額はそれほど大きくならないそうです。その理由のひとつは、従業員数が多くなると、コミュニケーションのための労力も大きくなるからと考えることができるそうです。


[本文]

今回も、前回に引き続き公認会計士の金子智朗さんのご著書、「同じモノを売っているのに、儲かっている会社、儲かっていない会社」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、金子さんによれば、事業規模を拡大すると、シナジー効果などで、従業員1人あたり売上高が増加する、すなわち、固定費比率が下がるので、従業員数が多くても、従業員1人あたり売上高がそれほど多くない会社は、会社として事業活動を行っている意義が低いということについて説明しました。

これに続いて、金子さんは、企業規模が大きくなっても、従業員1人あたりの利益は、従業員1人あたりの売上高の大きさほどには大きくならないということについて述べておられます。「マクロ的に見れば、企業規模が大きくなるほど1人当たり売上高は大きくなるという話をしました。規模の小さい企業と大きな企業では、最大7千万円ほどの差があります。

では、1人当たり利益はどうでしょうか?実は、1人当たり利益は企業規模が大きくなったからといって劇的に変わるわけではありません。せいぜい、200~300万円程度の差の中に収まつてしまいます。そうなる理由は明白です。1人当たりコストも、加速度的に増加するからです。企業規模が大きくなっても、企業の全コストが1人にかかるコストの単純合算にしかならなかったら、1人当たりコストは企業規模に関係なくフラットになるはずです。

ところが、1人当たり営業費用(売上原価と販管費の合計)は(中略)、1人当たり売上高とほぼ同じように、企業規模の増加に伴って加速度的に増加するのです。そうなる理由として考えられるのは、企業規模が大きくなるにつれて、余計な仕事が加速度的に増えるということです。それは、必要なコミュニケーションの数を考えるだけでも分かります。もし、たった1人で仕事をしていれば、誰かと会議をするということはあり得ません。すなわち、誰かとコミュニケーションする必要はゼロです。

これが2人以上になると、自分以外に情報を伝達する必要が生じます。2人ならばコ三ュニケーションを取らなければならない組み合わせは3通りです。それが、3人になるとその組み合わせは5通りになります。4人になると、組み合わせは6通りになります。一般に、従業員がn人になると、n×(n-1)÷2通りの組み合わせができます。つまり、コミュニケーションに要する手間は、ざっくり言って、規模の増加に対して2乗のスピードで増加するということができます。

コストにその手間が反映されると仮定すれば、営業コストも2乗のスピードで文字通り加速度的に増加するわけです。これは私の実感とも実によく合います。私の社会人人生は、数万人規模の大企業からスタートしました。その後、転職したコンサルティング会社は当初250人程度でした。在籍していた丸4年間で1,000人を超える規模になりましたが、その後独立して、今度はたった1人になりました。私のビジネスの規模はどんどん小さくなったわけです。

それに反比例するように、無駄な仕事は劇的に少なくなりました。目的が不明確な会議や、根回しに奔走すること、仁義を通すために、他部署に話を通しに行くこと、自分で勝手に会議を欠席しておきながら、『俺はそんな話聞いてない』とのたまう抵抗勢力をなだめるために時間を浪費すること。そういったことが一切なくなりました。逆に、最初の大企業ではそんなことばかりやっていたような気がします。皆、それが仕事のように思っている節さえありました。それが大企業の実態です」(164ページ)

金子さんのご説明は、ほとんどの方が、感覚的にご理解できると思います。規模の大きい会社は、それなりのメリットがありますが、その一方で、多くの従業員の足並みを揃えるための労力が必要になります。でも、前回の記事でも述べたように、規模の大きな会社にはシナジー効果があるので、ある程度は規模を大きくすることは妥当といえます。ところが、経営環境の変化が激しくなってくると、規模の大きい組織は、それへの対応のための労力も増えてきており、最近は、経営環境の変化に素早く対応しやすいティール組織など、フラットな組織が望ましいと考えられるようになってきました。

これは、逆に言えば、かつてのような大量生産、大量消費の時代は、トップダウン型組織が適してり、組織の規模の大きさが、そのまま長所となっていました。でも、現在は、前述したように、組織の規模がそのまま長所となりにくい時代であるため、経営環境に合わせた組織づくりが重要になっています。そして、その組織づくりは、当然、コストの側面にも現れます。これを、裏を返せば、経営者の方が組織づくりをしないと、業績にも大きく影響してしまうということになるでしょう。

2026/6/23 No.3478