[要旨]
決断をすると、そのことに責任がともなうため、決断をしなければ責任も回避できると思う方もいるようです。でも、決断をしない場合、決断をしない決断をしていることになるので、いずれにしても、責任を避けることはできません。
[本文]
ビジネスメールコンサルタントの平野友朗さんが、メールマガジンで、「ビジネスなどでやらないことがあるのなら、単に、それを消極的に回避するのではなく、それはやならいという積極的な決断をすべき」と書いておられました。この平野さんの指摘については、ビジネスパーソンの方の多くが共感できると思います。
しかし、私の周りにはあまりいないのですが、両者の違いがよくわからないという方や、あまり重要なことではないと考える方もいるようです。そういう方は、どっちにしてもやらないのであれば、わざわざやらないことを積極的に決断する必要があるのかと考えるのかもしれません。
でも、平野さんが挙げた例では、平野さんは、「知らない会社に対しては営業をしない」と決断しているので、そのことによって、「PR活動に注力する」ことを決断することにもなっているということです。もし、単に、知らない会社への営業が苦手な人が、それを無意識に避けているだけであれば、それに代わる、顧客を増やすための活動を行おうということまでは、気持ちが向かないでしょう。したがって、単に避けることと、やらないと決断することは、まったく異なるわけです。
ところで、今回、平野さんのメールマガジンを引用した理由は、やらないことを決断することが大切ということよりも、人は、決断を避けようとする性質があるということをお伝えしたかったということです。もちろん、人が決断を避けようとする理由は、決断をすると、その決断したことに責任をともなうので、決断を避けようとする方は、決断を避けたいというよりも、責任を避けたいと考えているからだと言えるでしょう。
でも、禅問答のようですが、人が決断を避けたとき、決断を避けたことを決断しているので、そのことに対する責任は発生しています。したがって、決断しないことによって、表面的には責任も避けることができたと思うことができても、実は、責任を避けていることにはなっていません。
ビジネスに関することではありませんが、私は、定期的な運動をしていません。そこで、知人から、「運動しないから、そんな不健康な体になるんだよ」と言われたとき、「いや、私は、運動しないとは言っていない、運動する時間が確保できないだけだ」と反論しても、だれもそれを正当な反論だとは理解しないでしょう。私の身体が不健康なのは、自らの責任であることに、間違いはありませんし、運動しないことを決断していないからといって、自分の身体が不健康であることの責任が免れるものでもありません。