[要旨]
元プロ野球中日ドラゴンズ監督の、落合博満さんは、かつて、日本シリーズでの投手交代の采配について疑問視されたことがあります。ただ、結果が分かってからの批判は価値はなく、その時に最善と思える決断をすることが大切です。最も避けなければならないことは、リーダーが決断を避けることで、自らの存在意義を否定することです。
[本文]
元プロ野球中日ドラゴンズ監督の、落合満さんの著書、「采配」を読みました。同書には、今でも議論のある、落合さんの采配について触れられています。落合さんが指揮していた中日は、2007年に、日本シリーズでパシフィックリーグの北海道日本ハムを破り、日本一になったのですが、その第5戦の8回で、好投していた先発の山井投手を交代させました。9回は、交代した岩瀬投手が3者凡退に抑えた結果、シリーズを4勝1敗で終わり、日本一になりました。試合の後、報道機関などからは、山井投手は8回まで1人の打者も出塁させていなかったので、9回も3人で抑えていれば、完全試合を達成できたのに、交代させたことを疑問視されました。
これについて、落合さんは、「あの場面で最善と思える決断をした」と、述べています。落合さんが、山井投手を交代する判断した要因には、山井投手が4回のときに、すでに、右手中指のマメが破れ、「血を吹き出しながら懇親の投球を続けていた」ため、本人も交代を望んでいたことがあったようです。だからといって、私は、落合さんの采配が妥当であったということを述べようとはしていません。落合さん自身も、監督でなかったら、山井投手の完全試合達成を見たいと考えただろうと述べています。では、落合さんの采配をどう見るのかということですが、落合さんの述べている通り、「あの場面で最善と思える決断をした」かどうかということだと思います。
落合さんは、山井投手を交代させなければ、その試合に逆転負けをして、さらに、第6戦、第7戦も落として、日本一を逃す可能性があると考え、日本一になることを最優先して山井投手の交代を決断したそうです。結果として、落合さんの決断はよい結果を招き、中日は日本一になったのですが、もし、山井投手に続投させていれば、落合さんの考えた通りになって、日本一を逃し、その時は、逆に、山井投手を続投させたことを批判されるかもしれません。すなわち、結果が分かってからであれば、何とでも批判できるということです。でも、このような結果が分かってからの批判は、組織の指導者には何の価値もありません。
人は万能ではないので、誤った判断をすることもあるのですから、結果が分かってからの批判は、後出しじゃんけんをされているようなものです。大切なことは、何度も繰り返すことになりますが、「あの場面で最善と思える決断をした」かどうかということです。では、なぜ、私が、何度も同じことを繰り返して述べているかと言うと、これまで事業改善をお手伝いしてきた会社の経営者の方の中には、決断すべきときに決断をしない方もいたからです。こう説明すると、「決断すれば、成功するのか」という疑問を持つ方もいると思います。
これに対する答えは、その決断によって、成功は保証できないけれど、失敗しても学びはあるということです。少なくとも、経営者が果敢に行動している会社は、成功する確率が高まります。でも、もっと大切な考え方は、決断しなくても成功することもあるというのならば、経営者は不要になってしまうということです。事業運営が成行でよいのなら、何のために経営者が必要になるのでしょうか?すなわち、決断することを疑問視するということは、経営者の存在を疑問視することになるのです。
話をもどすと、「あの場面で最善と思える決断をした」かどうかで、組織としては学びを深め、成熟度が高まり、さらに強い組織になっていくと私は考えています。経営者は結果責任を避けることはできないものの、もっと責任を問われることは、決断を避け、自らの役割を放棄してしまうことです。もし、落合さんが、報道機関から批判されることを恐れ、決断することから逃げていれば、チームは日本一にはなれなかったことは間違いないと思います。
2022/5/26 No.1989