[要旨]
ミスターミニットの元社長の迫俊亮さんは、同社の社長に就任した際、社会学的なマネジメントの観点から、従業員が仕事でミスをしても、従業員個人に原因を求めず、会社の仕組みに原因を求め、組織として改善できる仕組みをつくるというアプローチをとっていたそうです。そして、もし、経営者が、ミスをした従業員個人を批判することは、天に向かって唾を吐くようなものだと考えていたそうです。
[本文]
今回も、前回に引き続き、迫俊亮さんのご著書、「やる気を引き出し、人を動かすリーダーの現場力」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、迫さんがミスターミニットの社長に就任してから、「自分がやりたいかどうか」ではなく、「現場との距離を縮められるかどうか」を最優先する、すなわち、会社の事業拡大に専念した結果、ご自身も経営者として成長できたということを説明しました。これに続いて、迫さんは、事業改善のアプローチについて、「仕組み」に注目するべきと述べておられます。
「Aさんという社員が仕事でミスしても、やる気がなくても、Aさんに原因を求めない。組織に原因を求め、『個人を責めても仕方がない。組織として改善できるような仕組みをつくろう』と、取るべきアプローチを考えていく。もしかしたら、インセンティブ設計が甘いのかもしれないし、あるいは、Aさんの意見が吸い上げられないような会議が行われているかもしれない。仮にAさん個人の能力が足りなかったとしても、その原因を、『能力を身につけさせる仕組み』が整っていなかったことに求める。
一方で、社会学的想像力を持たないリーダーは、『お前が怠惰だからこんなミスをするんだ!』、『やる気を出せ!』と、Aさんを叱責するだろう。原因は、『人』ではなく『会社』にある。だから、社会学的なマネジメントは、『個人を怒らない』のだ。(中略)個人にカリカリする時間があったら、『仕組み』をよくすることに時間を使った方がいいと判断する。新サービスの導入に失敗したら、犯人探しではなく、原因探しをするわけだ。それに、社員の失敗は自分の組織づくりの不手際だ。ミスをした個人に起こることは、天に向かって唾を吐くようなものでもある」(108ページ)
経営コンサルタントの一倉定さんが、「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任だ」と述べたことは有名ですが、これは、迫さんが、「事業活動での失敗したことの原因は、『人』ではなく『会社』にある」と述べておられることと、同じことを言っているのだと思います。確かに、会社に、能力の高い従業員がたくさんいれば、会社の業績も高くなると思います。でも、従業員個人の能力の高さで業績が決まるのであれば、組織的な活動をすることは無意味ということになるし、また、経営者のマネジメント能力も業績に無関係ということになります。
すなわち、組織的な活動である事業活動の成果を高めるためには、経営者の方は、能力の高い従業員を集めることではなく、経営者のマネジメント能力や、会社のマネジメントシステム、すなわち、仕組みを改善しなければならないということです。このことも、ほとんどの経営者の方が理解できることだ思うのですが、事業がうまくいかないと、つい、従業員の能力が低さや、失敗に関わった従業員の個人の責任といった、「人」に原因を求めてしまいがちです。
でも、繰り返しになりますが、事業活動は組織的な活動なのですから、それがうまく行かないときは、マネジメントや仕組みに問題があると考えなければなりません。これは、裏を返せば、もし、従業員個人の能力があまり高くなくても、経営者のマネジメント能力が高かったり、マネジメントシステムがよいものであったりすれば、会社の業績は高くなるということです。すなわち、「1+1=2」ではなく、「1+1>2」になるのであり、そこに、経営者が会社を経営する醍醐味があるのではないでしょうか?
2023/10/13 No.2494