バラエティ番組、ぶっちゃけ寺に出演
高蔵寺住職、天野こうゆうさんが、
ラジオ番組で次のようなことを
お話しされていました。
「会社の研修などで、禅寺に来て、
少しだけ座禅をして行く人がいる。
その方の中には、座禅はつまらないと
感じ、座禅を嫌いになって禅寺から
帰っていく」
私は、必ずしもすべての人が
座禅を評価しなければならないとは
思いませんが、確かに、研修によって、
半ば強制的に短時間の座禅を体験した
だけで、座禅を嫌いになるというのも、
座禅体験を受入れてくれた禅寺から
見れば失礼だなと思います。
この話を聞いて、
私は、インドの寓話である、
「群盲象を評す」を思い出しました。
この寓話をご存知の方も
多いと思いますが、おおよその内容は
次の通りです。
「盲人達は、それぞれゾウの鼻や
牙など、別々の一部分だけを触り、
その感想について語り合う。
しかし、触った部位により感想が
異なり、それぞれが自分が正しいと
主張して対立が深まる。
しかし、何らかの理由でそれが
同じ物の別の部分であると気づき、
対立が解消する」
(ウィキペディアより引用)
この寓話は、
教訓として伝わっているようで、
仏教でも、「少しの知識だけで
何でも知っていると思い込んだ者が、
世の中には大勢いる。そういう
者たちと言い争ってはならない」
という教訓が伝わっているそうです。
これは、私自身にも言えることなの
ですが、人は、深く学ばずに、一部
だけを学んだだけで、物事を評価
してしまいがちです。
経営者の方の中にも、新しい事業を
始めて、短期間しか絶っていないにも
かかわらず、業績があがらないと、
その事業を批判したり、新たに取り
入れた手法を批判したりしがちです。
事業の現場にいる人は、目の前の
課題をこなすことで手がいっぱいに
なってしまいますが、経営者の方は、
組織のトップに立つ人であるから
こそ、事業のよしあしをきちんと
見極める役割があるということは、
誰もが認めるところでしょう。
だからこそ、
部分的なことですべてを評価しては
ならないと思います。
確かに、
どこまで吟味すればよいのかという
線引きも難しいところですが、
少なくとも、少しだけ手を出して、
すぐに批判をするということを
繰り返すということは避けなければ
ならないと思います。