[要旨]
冨山和彦さんによれば、中間管理職への研修は、組織の上下左右の調整能力育成が大きな要素だったものの、今、日本企業が本当に必要としている中間管理職は、リーダー型中間管理職、トップリーダーと同じ発想で考える、ミドルリーダーとしての課長や部長なので、中間管理職はもっと高い目線で自分自身を将来のトップリーダーとして鍛える方法を考え、実践することが求められているということです。
[本文]
今回も、前回に引き続き、冨山和彦さんのご著書、「結果を出すリーダーはみな非情である」を読んで、私が気づいたことについて説明したいと思います。前回は、冨山さんによれば、これからの日本が、欧米や新興国のように、年齢に関係なく出世が決まる世の中になると、自分より年上の部下を使わなくてはならない場面が増えてくるので、上司も部下も含めてプロジェクト達成のためのひとつのチームであり、そのメンバーをいかにマネジメントしていくかという前提で、あらゆる役職員がリーダーシップを発揮していかなければならないということについて説明しました。
これに続いて、冨山さんは、現在は、中間管理職には、主に、調整能力を育成する教育が行われていますが、本来は、経営トップと同じ経営職としての教育が望ましいということについて述べておられます。「今まで、日本企業の多くは、中間管理職のための研修に力を入れてきた。よき課長として務まることが、よき部長になる前提条件であり、よき部長がよき取締役、その次もしかりという前提である。しかし、ここには大きな罠がある。
例えば、課長研修の典型は、部下とのコミュニケーション能力とか、いわゆるホウレンソウ(報告・連絡・相談)の話とか、要は、組織の上下左右の調整能力育成が、その大きな要素だった。これ自体は間違いではないが、こうした能力ばかりを磨いていくと、ムラの論理、慣習、作法にばかり敏感な、ムラ人代表みたいな人間ができ上がる。(中略)今の時代に日本企業が本当に必要としている中間管理職は、リーダー型中間管理職、トップリーダーと同じ発想で考える、『ミドルリーダー』としての課長や部長である。その意味で、管理職と言うより、『経営職』と呼んだ方がいいかもしれない。ところが、既存の中間管理職教育を真面目にやりすぎると、それとは真逆な人間ができ上がる。
もちろん、日本企業のリーダーは、ムラ型集団、ムラ人たちを率い、おらがムラの強みを活かして、厳しい国際競争を生き抜いていかなくてはならない。だから、ムラの論理やクセに通じていることは重要だ。しかし、本人がその虜になってしまうと、大事なときにリーダーとしての役割は果たせない。今どきのリーダーは、いざというときには、ムラの調和を破壊する果断な決断やイノベーションを断行して、ムラ全体を外敵との闘いにおける勝利に導かなくてならないからだ。
もし、みなさんが、将来、リーダーを目指したいなら、ただのミドルマネジメントではなくミドルリーダーになりたいなら、こうした管理職研修には、とりあえず付き合いつつも、もっと高い目線で自分自身を将来のトップリーダーとして鍛える方法を考え、実践することが求められる。企業の側も、これはと思う人材には、明確に将来のトップリーダーとして育成するためのプログラムを用意すべきである。今の役職た課長であっても、最高かつ最終責任者として考え、感じ、決断し、失敗も含めて結果責任を背負うことのトレーニングなしに、リーダー研修は成り立たない。
だから、真のリーダー育成プログラムは、いわゆる研修といわれる勉強の場と、実践におけるしかるべきアサインメントとが対になって連動しない限り、絶対に機能しないのだ。いずれにせよ、いわゆる管理職育成プログラムよりも、トップリーダーとなることを意識した、リーダー型『経営職』育成プラグラム、それも30歳くらいからのミドルリーダー育成プログラムの有無、出来不出来の方が、企業のパフォーマンスに与える影響は大きい時代がきているのである」(50ページ)
冨山さんは、「課長研修の典型は、組織の上下左右の調整能力育成が、その大きな要素」と述べておられ、私もその通りだと思うのですが、そのような研修しか行われてこなかった原因は、日本では波風を立てないことを最優先する風習が強いからだと思います。すなわち、そのような組織では、正しいことが最優先されるのではなく、波風が立たないことが最優先されます。いまだに日本の会社では、数十年前から検査のデータの改ざんが行われ、それが明るみになるということが珍しくありませんが、それは波風を立てないことを最優先していることの表れの1つだと思います。
さらに、もっと悪質な例では、検査不正問題が明らかになったある電機製品メーカーでは、「外部の弁護士らでつくる調査委員会のアンケートについて、回答を事前に見せるよう指示する管理職が複数人いたことも発覚」しています。このような会社は、私は、割合は少数だと思っていますが、その会社の管理職は、「波風を立てない」という建前で、不正を隠そうとしていたのです。
私はこのことに大きな問題があると考えているのですが、それは、すでに検査不正問題が明らかになっているわけですから、それにかかわった会社の役職員に求められていることは、その問題が再び起きないように、徹底的に問題を明らかにすることであるにもかかわらず、さらにその問題を隠そうとしたということです。要は、社会全体の価値感ではなく、「カイシャ」という「ムラ社会」の論理を優先しているということです。しかし、もし、日本の会社が、中間管理職にたいして調整能力よりも、冨山さんのいう「経営職」としての役割を求めていたとしたら、前述の「ムラ社会」の論理を優先する会社は少なくなったのではないかと、私は考えています。
冨山さんが、「経営職」が重要と述べていることに間違いはないのですが、それだけでなく、いま、業績が悪化している日本の会社は「ムラ社会」の論理を優先している役職員が多いからだと私は思っています。そのような状況を変えるためにも、「いざというときには、ムラの調和を破壊する果断な決断やイノベーションを断行」するリーダーを育成することが、現在の会社のトップに求められていると、私は考えています。
2024/7/25 No.2780