鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

経営戦略は仮説という前提で適宜修正を

[要旨]

経営戦略を立案するにあたっては、多面的な情報や的確な分析によって、その合理性が担保されますが、その一方で、どんなに多くの情報を集めても、また、その情報の分析にどれほど力を入れようとも、立案段階で完璧な経営戦略にはなりません。なぜなら、市場や顧客は絶えず変化し、その変化に従って競争も変化するからです。そこで、「経営戦略は『仮説』に過ぎない」と認識し、柔軟に軌道修正することが大切です。


[本文]

今回も、前回に引き続き、経営コンサルタントの遠藤功さんのご著書、「経営戦略の教科書」を読んで、私が気づいたことについて述べます。前回は、ニッチャーは、狭い限られた市場で勝負をしますが、それを体操競技にたとえると、平均台で高得点を狙うような経営をしなければならない、すなわち、狭い市場に注力することで、他社の参入が難しくなり、自社にとって優位に競争をすることができるということについて説明しました。これに続いて、遠藤さんは、完璧な経営戦略は存在しないということについて述べておられます。

「経営戦略を立案する際に、情報収取や、それに基づく客観的な分析は必要不可欠です。これまでの抗議でも触れたように、3C分析やSWOT分析(中略)など、多様なフレームワークや分析ツールを駆使して、理詰めのアプローチで自社に最も適した経営戦略を立案することが求められます。多面的な情報や的確な分析によって、経営戦略の合理性が担保されるのです。その一方で、どんなに多くの情報を集めても、また、その情報の分析にどれほど力を入れようとも、立案段階で完璧な経営戦略にはなりません。

なぜなら、市場や顧客は絶えず変化し、その変化に従って競争も変化するからです。『分析は過去の情報に基づくものであり、そこから未来が読めるわけではない』という事実を直視し、そこから打ち出した経営戦略は、『仮説』に過ぎないことを認識しておく必要があります。要するに、打ち出した経営戦略が妥当かどうかは、最終的にはやってみなければ分からない。どんな経営戦略にも、『間違っているかもしれない』、『うまくいかないかもしれない』というリスクがある。

そのことを肝に銘じておかなければならないのです。『それならば、戦略なんて意味ないじゃないか』と思うかもしれませんが、それは違います。たとえ『仮説』であっても、経営戦略がなければ経営の目標が定まりませんし、的確な資源配分もできません。経営戦略がなければ、『エンジンのない車』のようなもので、まっとうな企業活動を営むことはできません。ここで、私が言いたいのは、『経営戦略に対する過度な思い込みは危険である』ということです。

『完璧な戦略だ』との思い込みが強すぎると、うまくいかなくても、『いや、絶対にうまくいくはずだ』と、適切な軌道修正ができずに、そのまま突っ走ってしまうこともよくあります。それを『戦略の修正』と言います。うまくいかないというのは、経営戦略が妥当ではないことに理由があるかもしれないのに、それにしがみついてしまうわけです。『戦略は“仮説”に過ぎない』と認識していれば、柔軟に軌道修正することができるのです」(124ページ)

経営環境は、日々、変化しているので、昨日まで通用した戦略が、今日は通用しないということがあるということは、ほとんどの方がご理解されると思います。ここで議論が起きるのは、遠藤さんも述べておられるように、経営戦略に間違いがあるかもしれないのなら、経営戦略を立てる意味はあるのかということです。これについては、経営戦略を立てることに意味はあるということは明らかです。

なぜなら、経営戦略を立てずに、成行的に事業活動にに臨むことは、川の流れに身を任せるように、受動的に事業活動をするということです。一方、経営戦略に基づいて事業活動に臨むことは、能動的に事業活動をするということです。確かに、受動的に事業活動をしていても、幸運にもよい業績となることもある一方で、能動的に事業活動をしていても、よい業績にならないこともあります。しかし、5年、10年という範囲で考えれば、能動的に事業活動をしている方が、よい業績になることは明らかでしょう。

また、能動的に事業活動に臨むほうが、組織としての学びも多く得ることができるでしょう。それでも、経営戦略について否定的な経営者は、経営戦略について否定的というよりも、事業活動についてあまり深く考えず、成行的に活動したいと考えているのだと思います。でも、VUCAの時代にもかかわらず、成行的な活動をしかしたくないという姿勢で事業に臨んでいれば、よい業績に結びつかないことは明らかです。

2024/3/28 No.2661