[要旨]
稲盛和夫さんは、日本の中小企業経営者は従業員の何十倍も働いており、また、重い責任を持っているにもかかわらず、所得税の税率が高いことから、従業員の10倍程度の報酬しかもらわない人が多いと考えているそうです。また、「ガラス張りの経営」も実践しなければならないために、交際費なども自由に使うことができず、割に合わないと感じているそうです。
[本文]
今回も、前回に引き続き、稲盛和夫さんのご著書、「京セラフィロソフィー」を拝読して、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、京セラでは、財務情報を社内で公開し、経営者が利益を独占していないこと、経営者が交際費を使って公私混同をしていないことが分かるようにしたそうですが、こうすることで、経営者は後ろめたさはなくなり、勇気をもって経営にあたることができるようになるということを説明しました。これに続いて、稲盛さんは、ガラス張りの経営は実践しなければならないものの、それは、経営者にとっては割に合わないことでもあるということを述べておられます。
「このようにして、何の後ろめたさもなく、全力で仕事に取り組むために、私はガラス張りの経営をしてきました。そのような公明正大な経営をすると、経営者というのは、一番割に合いません。株式会社や有限会社の場合は、有限責任のはずですが、日本の金融制度のもとでは、銀行からお金を借りる場合でも、『社長であるあなたの個人保証が必要です』と言われ、家屋敷を担保に入れてでも保証しなければならない、ということになります。一つ間違うと、会社がつぶれるだけでなく、自分が担保に入れた家屋敷まで金融機関に取られてしまうということにもなりかねません。
そういうリスクを背負っていながら、公明正大な経営をしていると、決められた給与以外には収入がなく、役得などは一切ありません。つまり、責任は山ほど重いのに、従業員からは、『社長は自分たちの知らないところでいい思いをしているのでは』と勘繰られながら、日々の仕事を行っているわけです。しかも、日本の税制は、税率も非常に高く、まるで懲罰的な、高額な税金を取られています。私は、せめて、社長はこれだけの責任を持ち、これだけの仕事をしているのだから、一般従業員の10倍の給与をいただきますといううことを、従業員に言ってもいいとさえ思います。
仮に、大学新卒の初任給が20万円だとすると、その10倍で200万円になります。しかし、500人の従業員を抱えている会社の社長が、新卒社員の10人分くらいの仕事しかしていないかというと、そんなものではないはずです。恐らく、20人分、30人分の仕事をしているはずですから、400万円や600万円の月給をもらってもいいはずです。もし、月給が1.000万円だとすると、単純計算で、年俸1憶2,000万円になりますが、それくらいもらっている経営者は、アメリカの中堅企業には、ザラにいます。
ところが日本では、年俸が5,000万円を超えると、以前は、75%も80%も税金に持って行かれました。だから、日本の経営者は、『公明正大できれいな経営をして、高い給与を取っても、どうせ税金にもっていかれるから』と、新卒社員の数倍にしかならない少ない給与で辛抱してきました。(中略)ガラス張りの経営はしなければいけませんが、そう努めれば努めるほど、経営者は、一番、分の悪い立場に置かれるわけです。(中略)いずれにせよ、給与一つとってみても、日本の経営者というのは非常に立派で、自分の欲のためではなく、その犠牲的な精神で社会的な正義を守っているのです」(432ページ)
私も、中小企業の事業改善のお手伝いをしている中で、稲盛さんと同じことを感じています。オーナー会社であっても、経営者は、求められる能力や、求められる責任は、とても大きなものがあります。そうであるにもかかわらず、ガラス張りの経営を実践することによって、従業員の10倍程度までしか役員報酬を受け取ることはできず、また、役得もありません。こう考えると、経営者になりたいと考える方は、いなくなってしまうのではないかと思います。
しかし、稲盛さんでさえ、中小企業経営者は、日本の今の制度においては、割の合わない条件に耐えなければならないと述べておられます。これは、米国と日本では、平等に関する考え方が異なるからなのでしょう。米国では機会平等が浸透していますが、日本では、結果平等の比重が大きいのだと思います。そこで、稲盛さんは、日本の中小企業経営者は、割に合わない状況であっても、会社経営に懸命に取り組んでいる存在であり、もっと尊敬されるべき存在だと称賛しておられます。私も、稲盛さんと同じように考えており、中小企業経営者の方たちは、常に尊敬すべき方たちだと思っています。
2023/11/9 No.2521