[要旨]
従業員の方たちの関心の大きな部分は、自分のことで占められがちですが、組織の構成員として行動することで、自分の目的も達成できるようになることから、従業員の方たちに対し、そのような視点を涵養する役割が、経営者の方に求められています。
[本文]
京セラ創業者の稲盛和夫さんの元秘書で、日本航空の経営再建の時には、稲盛さんのサポート役を務めた、大田嘉仁さんのご著書、「JALの奇跡(稲盛和夫の善き思いがもたらしたもの)」を読みました。その中に、JAL再建当時の、稲盛さんとパイロット候補生のやり取りが書かれていました。当時は、JALは路線を縮小し、パイロットに希望退職を募ったほか、パイロット候補生に対しては、パイロットになるための訓練を中止し、グランドクルーとして勤務をしてもらっていたそうです。
このような中、パイロット候補生の不満が募っているということを聞いた稲盛さんは、立食コンパを開いて、彼らと話し合う機会を設けたそうです。コンパには、50人くらいのパイロット候補生が参加したそうですが、そのうちの何人かが、稲盛さんに対し、「我々は、パイロットを目指してJALに入社したのに、いつになったら訓練に入れるのか、それを知らされないまま他の仕事をさせるというのはおかしい」と訴えてきたそうです。
これに対して、稲盛さんは、「君たちは、いまのJALの経営の状態がどうなっているか、わかっているだろう。パイロットを育てるためには多額のコストがかかるのだから、すぐにそれを再開できない。そして、君たちのためにJALがあるのではないのだから、まずは、JALの再建のために、一緒に尽くしてほしい。再建が順調に進めば、パイロットの訓練は必ず再開するので、それまではいまの職場で頑張ってほしい」と説明したそうです。
パイロット候補生たちは、稲盛さんの説明には、すぐには納得しなかったものの、稲盛さんが、「まあまあ、そう怒るな、君たちの言い分はよくわかっている、苦労をかけて申し訳ない、でも会社の事情も理解してくれよ」といいながら、ビールを注いで回ったことから、パイロット候補生たちも稲盛さんと打ち解けてきたそうです。
大田さんがこのやり取りについて触れたのは、稲盛さんは、社内の反対勢力にも逃げることなく、直接、顔を合わせて説得する姿勢を紹介したかったようです。そのような稲盛さんの実直な姿勢は、とてもすばらしいと思いますが、私は、別の点に注目しました。パイロット候補生たちは、早く、自分たちがパイロットになりたいと考え、不満を募らせていた訳ですが、稲盛さんは、「君たちのためにJALがあるのではない」と諭しています。文字だけを見ると、厳しい言い方なのですが、私は、これは、組織と個人の関係を、的確に示していると考えています。
すなわち、パイロットになるかどうかは、個人にかかわることですが、パイロットを育成したり、育成したパイロットに働いてもらう主体は、JALという組織です。JALがあるから、パイロット候補生はパイロットに育成してもらうことができ、また、パイロットになってからは、パイロットとして活躍できるのです。このことは、説明するまでもなくほとんどの人が理解できることだと思いますが、パイロットの訓練をさせてもらえなくなったパイロット候補生たちは、自分たちがパイロットになることができないと、不安になってしまっていました。
でも、少し視野を広げれば、パイロット候補生たちが、訓練ではなく、グランドクルーの仕事をしていても、それは、JALが再建され、やがて、訓練が再開できるようになるための活動なので、決して否定的に考えることではないものです。稲盛さんの真意は分かりませんが、私は、前述の、稲盛さんの言葉には、個人のことだけでなく、組織の一員として活動して欲しいという意味も込められていると考えています。経営者のに方は、このような、個人と組織の関係を従業員の方に伝え、組織的な行動ができるように育成していくという、重要な役割があると思います。