鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

土井正三さんの功績

私は、よい経営者とはどういう人かを説明

するときに、よく、仰木彬さんを例に挙げ

ます。


仰木さんは、もちろん経営者ではなく、プ

ロ野球の選手や指導者として活躍した方で

すが、オリックスの監督時代に、日本プロ

野球初のシーズン200本安打を記録した

イチロー選手を抜擢したことでよく知られ

ています。


このことから、仰木さんは、「名伯楽」と

言われるようになり、私に限らず多くの人

が、仰木さんのような人材を見分ける目を

持つことが、特に経営者のようなリーダー

にとって大切だと考えているようです。


では、仰木さんの前任者だった土井正三

んは、スター選手となったイチロー選手の

能力を見出せなかった、目利きのできない

監督だったのでしょうか?


これについては、私も明確なことは断定で

きないのですが、ウィキペディアで土井さ

んについて調べて見ると、必ずしもそうで

はなさそうです。


イチロー入団時(1992年)のオリッ

クスの外野は、高橋智本西厚博、藤井康

雄の主力に、1993年に入団したタイゲ

イニー、柴原実、山森雅文佐藤和弘、D

Hは石嶺和彦という攻・走・守全ての面で

メンバーで固められており、当時1・2年

目のイチローが入る余地がなかったとも言

える。


そのような中でも土井はイチローを高卒の

新人選手としてはかなり優遇して使ってお

り、1992年には7月以降9番打者や2

番打者としてたびたびスタメン出場させた

り、1993年の開幕戦にもスタメン出場

させたりしている。


また、イチローが全国区となった1994

年は、石嶺がFAで退団、藤井、タイゲイ

ニー、高橋智の出遅れが重なっていたとい

う事情もあった」


このような事実から鑑みると、土井さんは

決してイチロー選手を冷遇していたとは考

えにくいと私は思っています。


ただし、プロ野球球団の監督という立場を

考えると、結果責任は大きく、もっと早く

イチロー選手の才能を引き出すことができ

たのかもしれません。


しかし、逆に言えば、仰木さんがイチロー

選手の入団時から監督を務めていても同じ

結果になったかもしれないとも言えます。


では、今回、なぜ土井さんについて述べた

のかというと、結果はどうであれ、何らか

の方針を持ってチームを運営することが大

切であり、少なくとも土井さんは自分の方

針をもってオリックスを指揮していたこと

は評価できるということです。


これは、結果論かもしれませんが、後にイ

チロー選手は、「世間ではふたり(土井さ

んとイチロー選手)の仲は良くないって言

われてますけど、そうではないんですよ。


土井さんは次の年のために、しっかりと体

を作れっていう指示を出してくれていたみ

たいなんですよ。


その年で土井さんは監督を辞められたわけ

ですけど、もし仰木監督の就任がなかった

ら、土井さんは僕を使う予定だったらしい

んです」と、イチロー選手本人も土井さん

を評価しています。


すなわち、イチロー選手の才能が開花した

のは、仰木さんひとりの功績ではなく、土

井さんの指導があったからとも言えます。


もし、土井さんが何の方針も持たずにチー

ムを指導していたら、イチロー選手からは

感謝されなかったでしょう。


これを会社経営にあてはめてみると、経営

者の方は、方針をもって会社経営に臨むこ

とが大切だということです。


これは、あたりまえのことのように思われ

ますが、中には、自分の方針を立てても、

それで事業が成功するか失敗するかわから

ないのだから意味がないと考えている方に

会うことがあります。


しかし、方針を持たないリーダーのもとで

は、メンバーのまとまりはありませんし、

事業が成功したり失敗したりしたときに、

何がその要因だったのかも把握しにくくな

ります。


繰り返しになりますが、土井さんは結果と

しては、オリックスの監督時代の3年間は

すべて3位という成績でしたし、イチロー

選手の才能も開花させられませんでした

が、もし、方針を持たずにチームを率いて

いたら、後に、誰からも評価されなくなっ

ていたと、私は考えています。

 

 

 

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