鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

稲盛さんは先輩の無言の行動に諭された

[要旨]

稲盛和夫さんが京セラを起業する前に勤めていた会社で、先輩社員が器具を丁寧に洗っている姿を見かけたことがあるそうです。当初は要領が悪い人と感じていたそうですが、後になって、器具を丁寧に洗わないと、思った通りの製品をつくることができないということが分かりました。このように、現場にはたくさんの暗黙知があり、それを経営者が把握したり、会社内で共有する仕組みを構築したりすることが大切です。


[本文]

今回も、前回に引き続き、稲盛和夫さんのご著書、「京セラフィロソフィ」を拝読して、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、稲盛さんは、従業員の方に原価意識を持ってもらうために、ビスやナットなど、部品の値段を教えてあげたり、部品が床に落ちていたら片づけるよう指導していたそうですが、このような指導を通して、すべての従業員が経営者と同じように原価意識を持ってもらうことを狙っていたということを説明しました。これに続いて、稲盛さんは、現場主義の重要さをご説明しておられます。

かつて、京セラは、米国のフェアチャイルド社がサンディエゴに持っていた工場を購入し、そこで生産を始めたことがあったそうです。その工場では、現場監督は、作業員から報告されたデータをホストコンピューターに入力し、稲盛さんたちに成果を報告していたのですが、稲盛さんが現場を直接確認したところ、作業員たちの半分以上は計算が苦手で、不正確な数字を報告していたそうです。すなわち、現場監督は、現場を見ていないということを大きな問題と認識し、稲盛さんは、改めて経営者は現場を重視しなければならないと考えたそうです。

そして、この現場主義の重要性は、かつて、稲盛さんが起業する前に働いていた会社の先輩社員だったとご説明しておられます。「この『現場主義』ということを、私に教えてくれたのは、ある先輩社員でした。たいへん真面目な方で、黙々と仕事をされていたのを見ています。セラミックスの原料となる粉を混ぜ合わせるときには、『ボールミル』という、陶器製の容器を使います。瓶みたいな形をしていて、中に原料を粉砕するためのボールが入っており、コロコロと回しながら原料の粉末を混ぜていくわけです。

実験を始めた当初の私は、『この原料とこの原料をボールミルに入れて混ぜる』と、学校で習った通り、何の気なしに混ぜていました。あるとき、その先輩が、洗い場のところに座り込んで、一生懸命にボールミルをたわしで洗っている姿を見かけました。中に入っているボールには、欠けてくぼんでいるものもあり、そのくぼみに、実験で使った粉がこびりついたりするので、彼はそれをヘラでほじくって、きれいに水洗いをしていたのです。大学を出たいい男が、洗い場に座り込んでチマチマと作業をしている。

『無口で風采も上がらない人だとは思っていたが、あのくらいなら簡単にパラパラッと洗えばいいものを、何と要領の悪い』などと思いながら、私はその先輩の様子を見ていました。ところが、いい加減に洗っている私には、なかなかいい実験結果が出ないのです。そこで頭をガーンと殴られたような気がしました。簡単に洗っていたのでは、前の実験で使った粉が少し残ってしまいます。そのわずかな遺物の混入があったために、セラミックスの性質が変わってしまったのです。

『そういえば、あの先輩は、ヘラみたいなものを使って、丁寧に、一つひとつのボールのくぼみに詰まった粉も取って水洗いをしていた。さらには、腰にぶら下げたタオルで、ボールを一つひとつ拭いていた。なるほど、あそこまで繊細にならなければ、思い通りの結果は得られないのか』その先輩は、私に、直接、そのことを教えてくれたわけではありません。その人の無言の行動が、私を諭してくれたのです」(549ページ)

実は、私は、「現場主義」という言葉に、あまりよい印象を持っていません。というのは、私が、かつて、銀行職員時代に、営業店の融資係をしていたとき、渉外係の人から難しい条件をつけた融資案件をたくさん持ち込まれたからです。例えば、業績が下がっているのに、融資額の増額を受けてきてしまったというようなものが最も多かったと思います。

そんなとき、「お前たちは建物の中で仕事をしているが、外へ出て、直接、顧客と顔を合わせている自分たちの身になって考えて見ろ」と、感情的なことを言われたものです。恐らく、当時の渉外係の人たちの多くは、会計が苦手で、顧客から融資増額の打診をされたとき、それに応じることは難しいということを、論理立てて説明できなかったので、そのまま受けて来たようなフシがあります。すなわち、単に、顧客の言いなりになっているだけなのに、それを、「顧客重視」という方便を使われたのです。

とは言っても、私は、稲盛さんの考え方、すなわち、本当の意味での現場主義は重要だと思っています。今回引用した、稲盛さんの先輩の事例からは、いくつかの教訓を学ぶことができると思いますが、私は、現場にはたくさんの暗黙知があることから、経営者には、その暗黙知を把握したり、経験の浅い従業員とそれを共有できる仕組みをつくることが求められているということを、学ぶことができると考えています。

このような意味での現場主義は重要です。ところが、これは論理的な説明ではありませんが、稲盛さんのように、現場に強い関心を持つということは、現実にはなかなか実践されていないようです。というのは、大企業で不祥事が起きた時、「現場の情報が、トップまで、なかなか伝わって来なかった」と、経営者が説明することが、しばしば見られます。それは、会社の規模が大きくなるほど、経営者は神輿にかつがれてしまうという傾向があるからであり、それを防ぐことは簡単ではないということも理解できます。

でも、そうであったとしても、もし、不祥事を起こした会社の経営者が、稲盛さんのように、現場主義を重視していたとしたら、ある程度は不祥事を防ぐことができたのではないかと、私は考えています。もちろん、経営者がどんなに力を尽くしたとしても、現場のすべての情報を集めることはできないでしょう。しかし、経営者が現場に関心がある会社と、そうでない会社との間では、経営者に集まってくる情報の量に、大きな差が出ることになるのではないでしょうか?

すなわち、稲盛さんの言う現場主義は、業績を高めることや、不祥事を防ぐことという観点から、経営者が特に重視すべき考え方だと言えると思います。したがって、地味な活動ではあるものの、経営者の方は、現場からの情報ができるだけ伝わってくるような仕組みづくりに力を尽くさなければなりません。繰り返しになりますが、それが不十分になると、業績が下がったり、不祥事が起きやすくなったりしてしまいます。

2023/11/27 No.2539