鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

融資を受ける理由を説明できますか?

[要旨]

運転資金の融資を受けるときは、単に、手元資金が足りないというだけではなく、売上が増加していることによるものなのか、事業が赤字になっていることによるものなのかという説明が必要です。さらに、赤字の時は、事業を回復するための対策を説明することも必要です。


[本文]

今回も、Clubhouseで私が受けたご相談の内容についてシェアします。ご相談の内容は、「融資を受ける理由を説明できずに融資を断られたが、どうすればよいか」というものです。これは、例えば、新たに機械を購入するために融資を受けようとするときは、融資のを受ける理由は容易に説明できると思いますので、前述のようなことが起きるのは、設備資金ではなく、運転資金の融資を利用するときだと思います。

でも、銀行は、運転資金の申し込みを受けたときは、おおよそ、その理由は理解しています。もし、融資の申し込みをしてきた会社の売上が増加しているときは、商品や材料の仕入資金が不足するので、増加運転資金ということが分かります。でも、売上が増加していない会社が、運転資金の申し込みをしたときは、だいたいは赤字資金です。赤字資金とは、売上収入よりも、仕入と経費の支出が多いので、資金が不足するというものです。当然、そのような会社は赤字です。

それは、銀行は理解しているのですが、別の理由があるかもしれないので、念のために融資が必要になる理由をききます。でも、多くの場合、経営者の方は、事業でどれくらいの利益が得られているかを把握していることは少ないようです。単に、月末の仕入代金や経費支払の予定額に対し、手持ちの資金が不足するということだけが分かっており、銀行に融資の申込をすることになっているようです。

したがって、そのような会社に対して、銀行が融資を断るとすれば、融資が必要になる理由を答えられなかったというよりも、業況が赤字だからと言えます。でも、自社が赤字であることを把握できていれば、その対応策も合わせて銀行に説明できるので、それを銀行が納得できれば、融資承認につながると思います。したがって、収支管理、利益管理をすることが、銀行から融資を受けるための基本的な対応策と言えます。

f:id:rokkakuakio:20210217231548j:plain

 

業績が悪いと融資を受けられない?

[要旨]

一般的に、会社が銀行から融資を断られる原因は、業績がよくないからと考えられがちですが、会社が今後の業績の見通しを示す資料を見せることができなかったということが本当の原因である場合が多いようです。


[本文]

今回は、Clubhouseで私が受けたご相談の内容についてシェアします。ご相談の内容は、「中小企業が継続的に銀行から融資を受けることができるようにするには、どうすればよいのか」というものです。中小企業にとって、安定的な資金調達ができるかどうかは、とても切実な課題だと思います。

そして、それに対する私の回答は、黒字を維持すれば、銀行は融資を続けてくれますというものです。でも、こんな回答をすれば、「そんなことは、誰でも分かっている」と感じるでしょう。従って、本当の質問は、「仮に会社が赤字になっても、銀行から継続的に支援してもらうにはどうすればよいのか」ということになると思います。

では、赤字でも融資を受けられるようになるにはどうすればよいかというと、将来、自社が黒字に回復することが見込むために必要となる資料を提出すればよいということです。銀行は、融資相手の会社が、相当に悪化していない限り、単に、赤字になっただけでは、融資を断ることはしません。

しかしながら、今後、業績が回復するかどうかを判断できなければ、融資を断ることになるでしょう。したがって、このような会社の場合、融資を断られた理由は、会社が赤字だからというよりも、会社が今後の業績の見通しを示す資料を見せることができなかったということになります。

ちなみに、今後、業績が回復することが見込むことができるために必要となる資料とはどういうものかというと、ひとつは、前月か前々月までの月次試算表です。その他にも、将来の業績を見通すための資料はありますが、この資料がなければ、将来の分析をすることはできません。

もちろん、月次試算表を提出すれば融資を受けることができるとは限りませんが、現時点で、令和3年1月の月次試算表を完成させている会社で、融資を受けることに苦心している会社は少数派だと、私は考えています。

f:id:rokkakuakio:20210217205032j:plain

 

アカウンタビリティ

[要旨]

中小企業では、給与の査定方法が定められていないなど、従業員の方の処遇の決め方が不透明な会社は少なくありません。しかし、そのような会社は、従業員の方のモラールや定着率が下がり、経営に悪影響を与えます。したがって、経営者の方が説明責任を果たすことが大切になります。


[本文]

前回、銀行が融資をしないことへの批判が起きる要因のひとつは、銀行職員が、融資を断るにあたって、説明が不足していることが考えられるということについて書きました。この、コミュニケーションの不足については、当然、銀行職員と融資を受けている会社にだけ当てはまることではありません。

意趣返しではありませんが、会社と従業員の方にもあてはまります。その例として、経営コンサルタントの板坂裕次郎さんが、ブログに、次のようなことを書いておられました。すなわち、プロ野球選手の年俸は、その年のプレーを細かく記録して査定されるが、多くの中小企業では、根拠を示さずに給料が決まるので、モラールが下がってしまうことが多い、というものです。

このことについて理解していただくためには、多くの説明は不要だと思います。でも、なかなか実践されていないことも事実でしょう。さらに、組織の規模が小さい会社ほど、待遇の根拠の透明性は低くなっていきます。その一方で、待遇の査定基準を作るには、最初は労力がかかるので、それを避けようとする人が多いのでしょう。ただ、従業員の方のモラールを維持・向上させたり、定着率を高めようとするには、その労力は惜しむべきものではないと思います。

むしろ、査定基準がないことによって、従業員の方のモラールや定着率が下がると、それらをカバーするための労力の方が大きくなると思います。業績を高めるための基礎的な要員として、チームワークは需要になるので、どのようにして給料が決まるのかという基準を明確にする、すなわち、アカウンタビリティ(説明責任)を果たすことは、経営者の方にとって避けることができない、重要な役割のひとつであると、私は感じています。

f:id:rokkakuakio:20210217001319j:plain

 

銀行はリスクをとらない?

[要旨]

「銀行は融資をしない」と考えている会社経営者の方は少なくないようです。その原因は、銀行職員が迅速に対応しない、説明が不足しているということが考えられますので、もし、銀行の対応が納得できないという場合は、専門家に助言を求めることをお薦めします。


[本文]

最近、Clubhouseで、多くの経営者の方とお話していますが、「銀行はリスクをとろうとしないので、けしからん」という不満を持っている方が多いということを、改めて感じました。「リスクをとらない」という意味は、「融資をしない」という意味だと思います。ただ、銀行は、すべて、希望する会社に対して融資に応じることはできないので、融資を断ることがあることは仕方ないと思います。

しかし、融資を断るときに、きちんと説明をすれば、その不満を和らげることができます。それでも、説明をしても、融資を受けることができないという事実は変わらないので、断られた側としては、不満は残ると思います。だから、「銀行は融資をしない」という批判は、100%なくならないでしょう。

ちなみに、私も、銀行勤務時代は、融資を断ることはありましたが、完全に、批判をなくすことはできませんでした。でも、返事は素早く行う、途中経過は頻繁に行うということは心かけていました。そうすれば、結果は別として、怠惰や能力不足によって融資を受けられなくなったと思われることは少なくなると思います。

ただ、そのような動き方をする銀行職員は減少しつつあると思います。こちらは、銀行利用者にとって負担が増えることになると思いますが、もし、取引銀行の融資担当者がなかなか動いてくれないとか、説明があいまいでよくわからないという場合は、私のような専門家にセカンドオピニオンを求めたり、対策を相談することをお薦めします。

f:id:rokkakuakio:20210215203306j:plain

 

幸福になる義務

[要旨]

幸福になることは権利と考えられがちですが、哲学者のアランは、それを義務と主張しています。すなわち、幸福は受動的に得られるのではなく、能動的に働きかけなければ得られないと考えているからと思われます。しかし、能動的に働きかけることで幸福になれるということは、どのような状況でも幸福になることができるということです。


[本文]

諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さんの、プレジデントオンラインへの寄稿を読みました。それによれば、鎌田さんは、東京医科歯科大学医学部に進学したときに、家庭が貧しかったために、父親から、授業料や生活は自分で工面するようにと言われ、絶望的な気持ちになったとき、フランスの哲学者のアランの「幸福論」の次の一説を心の支えにしたそうです。

「もしある専制君主がぼくを投獄(中略)したならば、ぼくは、毎日、ひとりで笑うことを健康法とするであろう」これは、文字だけでみれば、「つらい状況にあるときは笑え」という意味ですが、アランの伝えたいことは、ネガティブな状況にいると感じたときは、ポジティブな面を探して、その状況から抜け出す努力をしなければならないということだと思います。

これは簡単に述べれば、「足るを知る」ということでしょう。そして、鎌田さんがご指摘しておられますが、アランの主張の特徴は、「幸福になるのは人として誓わねばならない義務だと強調している」ということです。人は、自分の置かれている立場を、ついついネガティブに考えてしまいがちですが、ポジティブに受け止めるこが義務であると主張しているということでしょう。

幸福になることは、一般的には、権利と考えられがちですが、それをアランは義務と主張しているのは、幸福は受動的に得られるのではなく、能動的に働きかけなければ得られないという考えの現れでしょう。この、アランの主張は、多くの方は理解されると思いますが、実践は難しいと思います。

私も、なかなか、実践できていません。でも、アランの考え方は、窮地にあった鎌田さんを救ったように、幸福は与えられるものと考えれば、幸福になれないこともありますが、幸福は自分でつかむものだと考えれば、どんな人でも幸福になれる機会があるということでもあります。私は、そう考えるだけでも、幸せな気分になることができました。

f:id:rokkakuakio:20210215005143j:plain

 

経理未経験のパートが経理担当に

[要旨]

中小企業ではジョブローテーションを行うことは少ないようですが、そのような状態では、従業員の方たちがセクショナリズムに陥ってしまい、事業の拡大の妨げとなることが多いと思われます。


[本文]

経営コンサルタントの小山昇さんの会社のブログに、同社コンサルティング事業部経理グループ課長の塚田加陽子さんが、パートタイマーとして同社にご勤務しておられたときに、経理業務を未経験だったにもかかわらず、経理担当になったという記事が書かれてありました。中小企業では、小山さんの会社で行われているようなジョブローテーション(定期的な配置転換)は、あまり行われておらず、また、経理事務などのやや専門的な業務が属人化していることは珍しくありません。

これは、中小企業では、従業員数が少ないことや、配置転換のたびに、新たな業務を教える労力や時間的な余裕を捻出しにくいということが、主な理由と思われます。しかし、そのことによるデメリットもあります。ジョブローテーションが行われず、仕事が属人化してしまうと、セクショナリズムに陥り、会社内での連携がうまく行かないということが増えてしまいます。また、配置転換が少ないことによって、不正も起きやすくなります。

小山さんの会社の場合、前述のブログの記事から、ジョブローテーションを行うことや、その際に、新任者に仕事を教えることが重要視されているということが分かります。これは、最終的に、社長である小山さんの決断があるからこそ、実践できているのだと思います。私が、今回、ジョブローテーションについて記事にした理由は、会社の事業が拡大するかどうかの重要な要因のひとつは、仕事が属人化されないような組織を作れるかどうかということだと思っています。

詳細な説明は割愛しますが、自分の担当する仕事しかわからない従業員の方だけが働いている会社よりも、会社の仕事をおおよそわかっている従業員の方がたくさんいる会社の方が、成長するということは、感覚的にご理解できると思います。よく、会社の事業を拡大するときは、売上を得ることに注目されがちですが、それだけでなく、組織体制も整えなければならないということが忘れられがちであると、私は感じています。

f:id:rokkakuakio:20210213214840j:plain

 

もしきょうが人生最後の日だとしたら

[要旨]

多くの方に尊敬されていた経営コンサルタントの石原明さんが急逝されましたが、人生には限りがあり、石原さんのような方でも、突然、終わりを迎えることがあることから、ビジネスパーソンとして、日々の活動は、無駄がなく、適切なものとなっているか、強く意識する必要があります。


[本文]

先日、経営コンサルタントの石原明さんが亡くなったようです。年齢は、恐らく、62歳のようです。石原さんは、私がロールモデルにしていた方ですが、私だけでなく、多くの方が評価しておられた経営コンサルタントの方でした。そのような方が、まだまだこれからもご活躍されることを期待されていたにもかかわらず、急逝されたことはとても残念です。もちろん、ご本人も、まだまだやりたいことがあったと思いますし、とても残念に思っていたことでしょう。

そして、私は、その知らせを聞いたとき、頭の中に、米アップル社の元CEOの、スティーブジョブスが、2005年に、スタンフォード大学での講演でお話した、有名なことばが思い浮かびました。「もしきょうが人生最後の日だとしたら、私は、きょうやろうとしたことを本当にやりたいだろうか」(If today were the last day of mylife, would I want to do what I amabout to do today ?)

この言葉にはいろいろな示唆に富んでいて、聴く人によってたくさんの解釈ができると思うのですが、やはり、私は、毎日、自分の行動が最善かどうかを確認しなければならないということだと思います。そうでなければ、人生はあっという間に終わってしまい、悔いが残ることになるということでしょう。

だからといって、石原先生が悔いの残る生き方をしていたとはまったく思っていませんし、むしろ、コンサルタントとして、他のコンサルタントの方たちと比較して、とても濃い活動をしていたと思います。そのような石原先生でさえ、思いがけず、急に人生が終わってしまうわけですから、ましてや、私のような途上にあるものこそ、相当に意識しなければならないと、改めて感じました。

そして、ジョブスの言葉は、以前から知っていたし、その通りだと思っていたのですが、訃報をきいて改めてその大切さを強く感じました。石原先生をお手本にしたいと思っていたものとして、旅立って行った石原先生によろこんでもらえることは、石原先生をお手本にして、自分自身の活動を改善し続け、成功していくことだと思います。ちなみに、ジョブスは56歳でこの世を去りましたが、私自身、もうすぐその年齢を迎えます。本当に人生は無駄にできないと、ますます感じています。

f:id:rokkakuakio:20210211223100j:plain