[要旨]
幸福になることは権利と考えられがちですが、哲学者のアランは、それを義務と主張しています。すなわち、幸福は受動的に得られるのではなく、能動的に働きかけなければ得られないと考えているからと思われます。しかし、能動的に働きかけることで幸福になれるということは、どのような状況でも幸福になることができるということです。
[本文]
諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さんの、プレジデントオンラインへの寄稿を読みました。それによれば、鎌田さんは、東京医科歯科大学医学部に進学したときに、家庭が貧しかったために、父親から、授業料や生活は自分で工面するようにと言われ、絶望的な気持ちになったとき、フランスの哲学者のアランの「幸福論」の次の一説を心の支えにしたそうです。
「もしある専制君主がぼくを投獄(中略)したならば、ぼくは、毎日、ひとりで笑うことを健康法とするであろう」これは、文字だけでみれば、「つらい状況にあるときは笑え」という意味ですが、アランの伝えたいことは、ネガティブな状況にいると感じたときは、ポジティブな面を探して、その状況から抜け出す努力をしなければならないということだと思います。
これは簡単に述べれば、「足るを知る」ということでしょう。そして、鎌田さんがご指摘しておられますが、アランの主張の特徴は、「幸福になるのは人として誓わねばならない義務だと強調している」ということです。人は、自分の置かれている立場を、ついついネガティブに考えてしまいがちですが、ポジティブに受け止めるこが義務であると主張しているということでしょう。
幸福になることは、一般的には、権利と考えられがちですが、それをアランは義務と主張しているのは、幸福は受動的に得られるのではなく、能動的に働きかけなければ得られないという考えの現れでしょう。この、アランの主張は、多くの方は理解されると思いますが、実践は難しいと思います。
私も、なかなか、実践できていません。でも、アランの考え方は、窮地にあった鎌田さんを救ったように、幸福は与えられるものと考えれば、幸福になれないこともありますが、幸福は自分でつかむものだと考えれば、どんな人でも幸福になれる機会があるということでもあります。私は、そう考えるだけでも、幸せな気分になることができました。