鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

素っ裸になってさらに服を抜ぐ

ご著書の累計発行部数が700万部を超え

る、ベストセラー作家の本田健さんが、か

つて、「ベストセラー作家になると、すで

に素っ裸になっているのに、さらに、服を

脱ぐよう要求されるような気分になる」と

お話しされていたことをときどき思い出し

ます。


このことばを聞いて思い当たることは、本

田さんの代表作であり、100万部を超え

る部数が発行されている、「ユダヤ人大富

豪の教え」( https://amzn.to/2D81kdY )

というご著書が、本田さんご自身がモデル

になっている主人公のお話しになっている

ということです。


その主人公は、いくつもの失敗を繰り返し

ながら成長していくのですが、その物語を

書いている本田さんとすれば、直接的では

ないとはいえ、自分の過去の恥ずかしい体

験を、多くの読者にさらけ出すことになっ

たわけですから、前述のように人前で裸に

なったような気持ちを感じているというこ

とは、容易に理解できます。


経済評論家で公認会計士勝間和代さんの

ご著書、「『有名人になる』ということ」

( https://amzn.to/2GjzKO4 )も、前述の

本田さんのお気持ちと同様のことを述べて

おられると思います。


では、今回、なぜ本田さんが裸になった気

持ちになったということを書いたかという

と、多くの経営者の方は、大きな名声を得

たいと考えている一方で、同時に、「その

他大勢」のひとりでもいたいとも考えてい

る場合もあると思ったからです。


もちろん、大きな名声を得ることは問題で

はなく、また、「その他大勢」のひとりで

いることも問題はないのですが、本田さん

のような著名人を目指すには、それなりの

覚悟が必要です。


私がこれまでお会いしてきた経営者の方の

中には、自分はもっと有名になりたいし、

自分のプライバシーを多くの人が知ること

になっても抵抗を感じないという方もいま

したが、そのような方は少数です。


もし、名声を得たいと考えているにもかか

わらず、なかなかそれが実現しないと感じ

ている方は、意識の深いところではあまり

自分のことは他人には知られたくないと考

え、無意識に自分の行動に制限をかけてい

るのかもしれません。


今回の記事の結論は、自分の深い意識が自

分の行動を制限していないか分析してみる

ことも大切ということです。

 

 

 

 

 

※この記事はメールマガジンでも配信して

います。ぜひ、ご登録ください。→

http://yuushi-zaimu.net/conference/

 

 

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20190202214027j:plain

 

猿猴捉月

先日、たまたま、「猿猴捉月(えんこうそ

くげつ」ということわざがあることを知り

ました。


これは、猿が井戸の水に映った月をとらえ

ようとする様子を指しており、これまでに

これをテーマにして多くの画家が絵を描い

ているようです。


文化庁のホームページを見ると、児玉希望

という画家が昭和8年に書いた猿猴捉月の

絵が紹介されており、その解説には、次の

ように書かれています。


「樹に集まる猿の群れ。体を寄せ合い、手

をつないで、水面に映った月を手でつかも

うとしています。


ゆらゆらゆれる水の上の月はただの光の反

射にすぎず、手でつかむことなどできませ

ん。


やがて樹の枝は折れて、猿たちは溺れてし

まうでしょう…この絵は、かなわない望み

をいだいて失敗してしまうことをさしてい

ます」


(ご参考→ https://goo.gl/9oeEaL


この解説にあるように、猿猴捉月は、かな

わない望みをいだくこといましめることわ

ざであり、身の程をわきまえずに能力以上

のことをして失敗してしまうことも指すよ

うです。


だからといって、今回は、読者の方に、身

の程にあわせた行動をして失敗しないよう

にしましょうということを伝えようとして

いるわけではありません。


そもそも、このことわざは、私自身にもあ

てはまります。


では、なぜ、このことわざについて書いた

のかというと、2つ気になったことがあっ

たからです。


ひとつは、猿たちは、なぜ空の月ではなく

て水に映った月をとろうとしたかというこ

とです。


といっても、猿猴捉月がフィクションなの

で、猿猴捉月を考えた人の意図を汲むしか

ないのですが、自分が価値あるものと思っ

ていることが、必ずしも本物であるとは限

らないので、慢心することなく常に本物を

探求することが大切だということを伝えた

いのだと思います。


もうひとつは、なぜ多くの猿が同じ愚行を

したのかということです。


これも、1匹の猿の愚かな行いを、まわり

の猿も疑わないことを戒めようとしている

のだと思います。


特に、大きな組織では、外から見ればおか

しいと思えることも、大勢で間違えたまま

ではそれに気づきにくいので、それに注意

しなければならないということでしょう。


今回は、自戒を込めて猿猴捉月について書

いてみました。

 

 

 

 

 

※この記事はメールマガジンでも配信して

います。ぜひ、ご登録ください。→

http://yuushi-zaimu.net/conference/

 

 

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20190202214437j:plain

 

1万円札

交流会に参加するときのことですが、事前

のお知らせで、3千円や5千円などといっ

た参加費が分かっているのに、1万円札を

出しておつりをもらう人を見ることがあり

ます。


たいした問題ではないとも言えますが、私

はあまり評価しません。


仮に、交流会の始まる前まで忙しかったと

しても、その交流会に参加する直前にAT

Mで現金を引き出してきたのなら、例えば

5万円ではなく、4万9千円と金額を指定

すれば千円札が出てくるので、おつりが不

要になるようにできるでしょう。


私がなぜお釣りの出ないような配慮にこだ

わっているかというと、1万円札を躊躇な

く出す人は、交流会の幹事をやった経験が

少ない人だからだと思っているからです。


幹事などを経験すれば、仕事をする上での

細かい気配りを学ぶことができます。


もし、このようなことを面倒と感じる人は

ビジネスを実践する上でも躓くことが多い

のではないでしょうか…と、思っていたの

ですが、実は、その逆のこともあると思っ

ています。


経営者は、常に、他の人が代わることがで

きない、すなわち、自分自身にしかできな

いこ活動に注力し、他の人に代わってもら

えることは代わってもらった方が効率的で

す。


そういう面からは、お金は持ち歩くにして

も、少額紙幣は持たなくてもよいと考えら

れるでしょう。


そして、細かいことばかりに目がとらわれ

ていると、大局的な判断ができなくなって

しまう恐れがあります。


また、段取りが上手なことは評価されるこ

ともありますが、逆に、段取りで固め過ぎ

てしまうと、ちょっとしたことで想定外の

ことが起きたときに混乱してしまうかもし

れません。


むしろ、あまり細かいことを決めずに行動

している人の方が、イレギュラーなことが

起きた時に柔軟に対応できるなど、上手に

対処できるスキルを身に付けることができ

ます。


とすると、結論は何なのかということにな

りますが、自分の特徴に合わせて課題を解

決することが大切ということです。


たまに、細かいことが苦手という経営者に

会うことがありますが、かといってその人

がアドリブも得意でないということになる

と、ビジネスには不向きということになっ

てしまうのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

※この記事はメールマガジンでも配信して

います。ぜひ、ご登録ください。→

http://yuushi-zaimu.net/conference/

 

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20190201135531j:plain

 

社会の役に立つ仕事

よく、若い起業家、経営者の方が、「自分

は社会の役に立つ仕事をしたい」と口にす

ることがあります。


これを聞くと、あまのじゃくな私は、「も

し、社会の役に立たない仕事をしている会

社があるとしたら、その会社はずっと赤字

が続いて倒産してしまうよ」と思ってしま

います。


冗談はさておき、「社会の役に立つ仕事」

という言い回しは、「多くの人から賞賛さ

れる仕事」とか、「社会的に評価の高い仕

事」を指しているのだと思います。


私は、どういう仕事をするかということに

ついては、まったく問題はないと思ってい

るのですが、あえて、「社会の役に立つ仕

事をしたい」という言い回しをしている人

は、「単に仕事をしているだけでは自分は

評価されず、従って、自己肯定感を感じる

ことができない。


そこで、社会の役に立つ仕事をすることで

社会から評価してもらい、自己肯定感を感

じるようになりたい」という欲求を持って

いるのでしょう。


私は、少なくとも、経営者になる方は、こ

のような考え方をすることは避けるべきだ

と思っています。


なぜなら、会社を経営をするにあたって、

無意識のうちに自分が賞賛されることを優

先してしまうからです。


それは、経営者が独り善がりになったり、

裸の王様になったりする原因になります。


そして、そのような会社は組織運営がうま

くいかず、業績に悪い影響を与えてしまう

ようになることは、説明するまでもありま

せん。


では、どうすればよいのかというと、経営

者の方が強い自己肯定感を持つことが必要

です。


この自己肯定感を持つにはどうすればよい

のかということは、説明を割愛しますが、

劣等感の強い人は、リーダーシップを発揮

できないということも、容易にイメージで

きると思います。


むしろ、経営者は従業員を励ます立場にあ

るわけですから、「社会の役に立つ仕事」

をすることで自分が励ましてもらえるよう

になろうと考えることは、本来のあるべき

姿勢と180°違っているのではないか、

ということが、今回の記事の結論です。

 

 

 

 

※この記事はメールマガジンでも配信して

います。ぜひ、ご登録ください。→

http://yuushi-zaimu.net/conference/

 

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20190130220013j:plain

 

1の実践で10の評価

先日、会議参加者のためにお弁当を手配す

ることになり、近所のお弁当屋さんに電話

でお弁当の予約をしました。


その際、「30分後にお店に行きます」と

伝えたところ、「かしこまりました。どう

ぞ、お気をつけてお越しください」と返答

されました。


いわゆるマニュアル通りのことばなのかも

しれないのですが、このような返事がさっ

と出てくると、従業員の訓練が十分に行き

届いており、商品そのものも期待できると

いう印象を持ちました。


(実際、お弁当の味もよかったです)


また、別のことなのですが、昨年、ある交

流会で、おたがいにSNSでつながっては

いたものの、初対面の公認会計士の方とご

挨拶をさせていただく機会がありました。


その方は、とても紳士的な方だったのです

が、後日、私の事務所に「お礼状」のはが

きが届きました。


いまは、多くの連絡が電子メールで行われ

ている中、あえて手書きのはがきを書いて

いただいただけで、好感度も印象もとても

大きくなります。


このような経験は、私でなくても多くの方

が持っていると思いますが、小さなことを

おろそかにしないことで、大きな評価を受

けることになります。


その一方で、それを実践しようとするとき

は、「これくらいのことでは、あまり効果

は期待できない」と感じてしまい、なかな

か実践しない方も多いと思います。


でも、「1を実践することで10の評価を

得ることもある」と考えれば、小さなこと

も疎かにできないと感じたため、今回、あ

らためて記事にしました。

 

 

 

 

※この記事はメールマガジンでも配信して

います。ぜひ、ご登録ください。→

http://yuushi-zaimu.net/conference/

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20190130111806j:plain

 

確認・理解・適切

「その件については、これから確認いたし

ます」


「どうぞご理解をお願いします」


「この件についてはこれから適切に対処し

ていきます」


どれも丁寧な文章に思えますが、実は、私

は、これらの言葉を好きではありません。


「確認するって、何をどこで誰に確認し、

その結果は教えてもらえるのだろうか?」


「理解するって、賛同したり了承したりす

ること?じゃ、賛同させたいなら、どうし

て賛同できるようになるのか説明してほし

い」


「適切な対処って、それをだれが適切か判

断するの?」


私の性格にあまのじゃくな面もあるからか

もしれませんが、確認、理解、適切という

ことばをきくと、このように思ってしまい

ます。


確認、理解、適切という言葉そのものに問

題ないと思うのですが、最近は、その場し

のぎに意図的に使われることが多くなった

ということもその原因だと思います。


では、なぜ、それらの言葉がその場しのぎ

に使われるかというと、中身は曖昧である

にもかかわらず、それらしく聞こえるから

だと思います。


そこで、確認の場合、単に「確認します」

といわれるよりも、「これから、AとBが

一致しているか照らし合わせてみます」と

いう文章であれば、何のストレスもなくき

くことができます。


理解の場合、「どうかご理解ください」よ

りも、「あなたのご要望をすべて聞き入れ

ることができない点については心苦しく感

じておりますが、どうか私どもの事情をお

察しいただけると助かります」と言われる

と、先方の意図が明確に分かります。


適切の場合、「適切に対処します」より、

「この件については機微な事柄が多く、慎

重な対応が求められるため、逐次状況を公

表し、透明性を高めることによって、多く

の方の意見を集められるような体制を維持

していきます」と説明されれば、それを聞

いた側は安心できます。


ここまでは理屈っぽいことを書いたのです

が、結論は、相手をはぐらかすための言葉

はまったく意味がないということです。


だからといって、相手を論破しなければな

らないということではありませんが、説明

を求めている相手に対して、はぐらかしを

することは、コミュニケーションを絶つこ

とと同じです。


悪意のある相手であれば別ですが、そうで

ない限り、こちらの意図を伝えることを怠

れば、単に課題の先送りになってしまい、

それは特にビジネスパーソンにとっては避

けるべきことでしょう。

 

 

 

 

 

※この記事はメールマガジンでも配信して

います。ぜひ、ご登録ください。→

http://yuushi-zaimu.net/conference/

 

 

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20190129221021j:plain

 

規則ずくめの組織は機能しない

最近、中央官庁の不祥事が相次いで起きて

います。


そのたびに、外部専門家などによる調査が

行われ、その結果、いつ、誰が、どうして

規則を破ったのか、ということがわかりま

す。


そして、それに対して「ルール違反はけし

からん」と批判することは簡単です。


また、ルール違反を起こした側も、単に、

「これまでは安易に規則を破ってしまいま

したが、これからは規則を守るように十分

に注意します」という「うわべ」だけの改

善策を述べるだけでは、真に問題は解決し

たとは言えないでしょう。


「組織の専門家」である私としては、もっ

と深い考察が必要と思います。


そのひとつが、役所は規則ずくめになって

いるということです。


このような不祥事が起きると、私は、組織

論の大家、バーナードの提唱した全人仮設

を思い起こします。


全人仮設以外の仮説には、経済人仮説(人

は、金銭的なインセンティブで行動する)

や、社会人仮説(人は、人間関係を重視し

て行動する)などがありますが、全人仮設

は、人は物的要因、生物的要因、社会的要

因によって行動するという仮説です。


物的要因とは、例えば人にとって金銭的イ

ンセンティブで行動しますが、そのような

個々の動機で行動する要因をいいます。


生物的要因とは、人は個性があり、それぞ

れ個別に優れた能力を持っていたり、経験

で能力を高めたりしますが、ある程度限界

もあり、そのような生物的な要因によって

行動が制約される要因をいいます。


社会的要因とは、人は社会のなかでうまく

立ち回ろうとする欲求を持っており、その

ような欲求で行動することをいいます。


例えば、厚生労働省で、法令に基づかずに

統計を行っていた事件について考えてみる

と、大きな労力を要する統計作業を目の前

にして、上司や大臣に対して「法令どおり

には実施できない」とは報告できない(社

会的要因)があったり、もし「できないと

報告したら、昇給に影響が出る」(物的要

因)が働いていたのでしょう。


そして、法令をつくった側も、単に、法令

をつくりさえすれば、統計を確実に遂行し

てもらえるという前提で法令をつくってい

ると思いますが、キャパシティオーバーの

部署に対して、いくら規則をつくっても、

遂行してはもらえないでしょう。


このようなことは民間会社でもよく起きま

す。


例えば、会社の事業で法令違反が起きたと

きなど、社長は「部下には規則を守って仕

事をするようにと指示したが、それをちゃ

んと守ってもらえなかった」などという弁

明をするときがあります。


それは、字面としては正しいのですが、指

示を出したことに責任がある経営者として

は、結果責任だけでなく、その指示が遂行

されると判断したうえで指示を出す責任が

あります。


それを怠り、規則を守るように指示したの

だから、規則が破られたのは、部下が悪い

というだけであれば、経営者としては失格

でしょう。


話を戻して、役所は規則で動くと考えてい

る人が多いと思いますが、公務員も生身の

人間であり、全人仮設の観点からも、きち

んと法令通りの行政が遂行されているかど

うか、管理者は管理する必要があるという

ことが、今回の記事の結論です。

 

 

 

 

 

※この記事はメールマガジンでも配信して

います。ぜひ、ご登録ください。→

http://yuushi-zaimu.net/conference/

 

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20190128165516j:plain