[要旨]
経営資源の配分にあたっては、対象とする事業が身の丈にあったものであるか、また、自社の組織風土や組織力に合致しているかで判断することが大切です。例えば、花王は、いったん、情報関連事業に進出し、1,000億円まで育てましたが、自社の組織風土に合わないと考え、参入から12年後に撤退をしました。
[本文]
今回も、前回に引き続き、経営コンサルタントの遠藤功さんのご著書、「経営戦略の教科書」を読んで、私が気づいたことについて述べます。前回は、ひと・もの・かねの経営資源は有限であり、それを社内の各事業に適切に配分し、最大の成果を得られるようにすることは、経営者の重要な役割なので、精緻な経営環境分析に基づき、事業の将来性を見通して、有望な事業に傾斜配分することが重要ということについて説明しました。
これに続いて、遠藤さんは、業績が振るわない事業の撤退の決断の大切さについて述べておられます。「『選択と集中』と言い換えると、『自分たちがやらないことを決める』ことです。この『捨てる』ということが、実は容易ではないのです。(中略)経営においても、『今はダメでも、そのうち儲かる事業に成長するのではないか』、『うちにとっては不得手な分野だけれど、そこそこ儲かっているうちは手放すこともなかろう』といった判断によって、なかなか『捨てる決断』ができないのです。
実際、日本企業の多くは、『選択と集中』を実践しようと事業再編を進めていますが、『捨てる』という決断が中途半端になりがちです。当面、収益が上がっている事業や思い入れのある事業だと、思い切った撤退・売却などを逡巡する傾向があります。そうした迷いを断つために重要なのは、『身の丈』を知ることです。『身の丈』を知る視点は2つ。1つは、『どれだけの人・モノ・金があるのか』という経営資源の量を知ること。そして、もう1つは、自分たちの得手・不得手を見つめ直し、その事業が自分たちの風土や組織力に合致しているかどうかを認識することです。
例えば、花王は、一時期、『これからの成長産業はITだ』と考え、フロッピーディスクなどの情報関連事業を手がけていました。1986年にフロッピーディスクの製造・販売を開始し、CD-ROMやインクリボンなどのOA関連商品を拡大させていったのです。本業である日用雑貨品とはまったくの“畑違い”ですが、さすが花王と言うべきか、フロッピーディスクで市場シェアNo.1の地位を築くなど、1,000億円を稼ぎ出す事業へと成長させました。ところが、1998年に情報関連事業からの撤退を決断しました。花王はなぜ1,000億円にまで育った成長分野の事業を『捨てる』決断をしたのでしょうか?
花王は、『自分たちの事業は将来はどうあるべきか』という将来像を見つめ直し、『ITのような変化の波の激しい事業は、花王という会社には合わない』と判断したのです。アジアの新興国市場など、本業である日用雑貨品でも十分に成長が可能であり、そこに経営資源を集中させた方がよいと、“勇気ある撤退”を決断したのでした。もし、花王が。このとき情報関連事業を切り捨てていなかったら、あるいはこの事業が経営の大きな“お荷物”になっていたかもしれません」
遠藤さんは、花王の事業撤退をお手本の事例としてご説明しておられますが、逆に、悪い事例としては、米コダック社が、写真フィルムメーカーとしてのレガシーを捨て切れず、デジタルカメラ事業への進出が遅れたことから、経営が悪化し、2012年に倒産したということは有名です。では、撤退の決断は奨励されるべきなのかというと、必ずしもそうとは限らないと、私は考えています。
例えば、サントリーのビール部門は、2008年に黒字になるまで、ずっと赤字続きでした。同社が、赤字であってもビールを製造していたのは、顧客に一緒にビールを納品できないと、同社の主力商品であるウィスキーや焼酎の売上に支障が出たからでした。しかし、その後、同社のビール製品には花形商品が登場し、ビール部門が、直接、同社の利益に貢献するようになりました。
私が、このように、花王と逆の事例を挙げたのは、事業を撤退するかどうかは、結果論的な面が大きいと感じているからです。だからといって、単に、撤退するか、しないかの決断をせずにいて、不採算部門の撤退の適切なタイミング逃し、会社に大きな損失を発生させることは避けなければなりません。経営者の決断は、仮に、後になってから失敗であったということになったとしても、日々、最善のものとなるよう、全力を注がなければならないと、私は考えています。
2024/3/20 No.2653