[要旨]
全体最適の「全体」とは、「部分の和」という意味ではなく、部分(個人)が組織全体の成果の最大化を目指すという観点からの全体ということです。そして、組織は組織全体の成果の最大化を目指すことが目的であり、そのことは組織の構成員(個人)の受ける利益を最大化するものです。したがって、組織的な活動とは、全体最適を目指すための活動であり、組織の構成員が部分最適を目指す活動をすることは避けなければなりません。
[本文]
前回の記事で、制約理論に触れましたが、よく、制約理論は全体最適を目指すための根拠として使われます。では、この「全体最適」とは何なのかというと、明確な定義はないようです。そこで、「全体最適」を的確に説明していると私が考える著書がありますので、それをご紹介したいと思います。それは、経営コンサルタントの望月広愛さんのご著書、「文句ばかりの会社は儲からない!-従業員満足のための顧客満足」という本です。「目先の効率ということを少し難しい言葉で説明すると、部分最適、自分最適というふうに言い表すことができます。
一方、長い目で見た効果とは全体最適と言い表すことができます。このことをわかりやすい事例で説明してみましょう。どの会社や組織であっても、部分最適、自分最適ではなく、全体最適を優先しなければ当然ですが、うまく運営できようはずもありません。社員や事務員さんみんなが自分最適で、組織の全体最適を考慮せずに日々の仕事を進めていくとどうなってしまうでしょうか?組織はバラバラになり、それぞれが自分勝手なことばかり考えるようになり、社長がいくら笛を吹いても誰も踊らず、回り回って社長だけでなく全員が疲れ果ててしまいます。
自社においでそんなことはないと思われるかもしれませんが、広く世の中の会社や組織を見渡すと、このような光景には本当にしょっちゅう出会います。たとえば、メーカーの管理部門などでは、管理的思考が強くなり、それが最優先されると、『一律20パーセントの在庫削減』などという号令がかけられることがあります。自己部門最適、すなわち部分最適優先ならば一律の在庫削減も間違いではありません。
しかし、全体最適で考えてみると、多くの営業セクションで売り逃しが発生し、顧客を失うことになってしまうかもしれません。戦略的思考で物事を発想することのできる組織では、このような短絡的なことはけっしてしません。すなわち『在庫削減しろ』と指図するのではなく、『機会損失をなくすにはどうすベきか考えよう』と号令します。
身近なところでは、昨今の社会保険庁の年金免除問題などはまさしく、組織が管理的思考で覆い尽くされている典型例です。もし仮に、社会保険庁の人たちがみな戦略的思考すなわち全体最適で物事を発想することができたなら、分母を減らすなどという小手先の細工に組織全体で血道をあげて走ることなどけっしてするはずもありません。前例、規則やマ二ュアルに頼り、自主性と創造性の欠如した、自分最適、部分最適を優先する組織の典型的な姿です。経営品質の高い組織とは対極にあります。
もっとわかりやすい例で説明すると、後先を考えず、目先の欲望に負けて焼肉とビールばかり食ベている人の例と同じです。燒肉ばかりを食ベビールばかりを飲んでいると、人間は通風という病気になってしまいます。一度通風になると、風が吹いただけでも激痛に襲われ、骨折したかのように痛くて、歩くこともできなくなります。そうです、二度と焼肉をたらふく食ベ、ビールを好きなだけ飲むことはできなくなるのです。
部分最適な行動を取る組織というのはこのような組織のことを言います。全体最適で物事を考える習慣のついている組織では、一生大好きな焼肉とビールを味わえるようにするためにこそ、肉ばかり食ベず、野菜も食ベたり、ご飯も食ベたりします。最初の一杯はジョッキでビールを飲みますが、二杯目からは酎ハイにしたりするものです。体全体のバランスを考えて物事の優先順位を決めていくのです」(193ページ)
全体最適ということばは、全体を最適にするという意味に間違いはありません。しかし、大切なことは、どのように全体を最適にするのかであり、それを理解しなければ、全体最適を理解したことにはならないと、私は考えています。少なくとも、「組織のすべての部門の部分最適を積み重ねていけば、全体最適が実現する」と考えてならないと思います。望月さんの例で言えば、「在庫削減しろ」という指図は部分最適による考え方であり、「機会損失をなくすにはどうすベきか考えよう」という働きかけは全体最適による考え方です。
ずなわち、全体最適を実現するには、組織の構成員や、組織内の部門が、個人の最適化や、部門の最適化を目指すのではなく、組織全体の最適化を目指すための行動をしなければなりません。ですから、組織の構成員や、組織内の部門が、各々の最適化を目指している間は、決して全体最適は実現しないのです。これを言い換えれば、「個の利益」と「全体の利益」は相容れないということです。
この事実に対して、「組織のために個人が犠牲になることがあってはならない」という主張が行われることがありますが、それは明らかな間違いです。組織に属することで個人が「犠牲」になることを否定するのであれば、個人は組織に属さい方がよいことになりますが、個人が組織の一員であるからこそ実現できるメリットがあります。すなわち、「個の利益」を目指すよりも、「全体の利益」を目指すことの方が、組織に属している個人が享受できる利益も大きくなるのです。
しかし、人はどうしても楽に過ごしたいと考える習性があり、組織に属していながら組織の利益より個人の利益を優先してしまうことがしばしば起きるわけです。そして、もうひとつのポイントは、望月さんが「部分最適の活動をしている組織は、経営品質の高い組織とは対極にある」とご指摘しておられますが、このご指摘からもわかるとおり、組織とは全体最適を目指すためにあるということです。そして、どれだけ全体最適を実現しているかで優れた組織であるかどうかが問われるのであり、その度合いが高い組織は経営品質が高い組織だということです。
もし、組織の構成員が部分最適ばかりを追求していれば、組織の成果は得られなくなり、やがて、組織の構成員が組織に属している意味がなくなります。これを言い換えれば、経営者や従業員が自分のことを優先して行動して、会社の業績が高まることがなければ、業績は下がってしまい、会社は倒産、すなわち、組織はなくなってしまうということです。ここまでの話をまとめると、全体最適の「全体」とは、「部分の和」という意味ではなく、部分(個人)が組織全体の成果の最大化を目指すという観点からの全体ということです。
そして、組織とは、組織全体の成果の最大化を目指すことが目的であり、そのことは組織の構成員(個人)の受ける利益を最大化するものです。逆に、組織の構成員が、自分の利益を優先していれば、短期的には個人の利益が増えることがあるかもしれませんが、長期的には組織の成果を得ることができなくなり、組織そのものがなくなってしまいます。ですから、組織的な活動とは、全体最適を目指すための活動であり、組織の構成員が部分最適を目指す活動をすることは避けなければなりません。
2026/3/13 No.3376
