[要旨]
公認会計士の林總さんによれば、ある会社で、20億円の不良在庫を抱えている状態をどう解決するか対策を検討する会議で、遅々として議論が進まない中で、50万円の盗難があったという連絡が届いたことに対し、会議に参加していた役員が激怒したところを見たことがあったそうですが、このように、20億円の不良在庫と50万円の盗難の軽重が分からなと、適切な経営判断ができなくなるということです。
[本文]
公認会計士の林總(はやしあつむ)さんのご著書、「騙されない会計」を拝読しました。同書で、林さんは、「会計力」の大切さについて述べておられます。「ある大手メーカーで実際に遭遇した話です。その会社は20億円の不良在庫を抱え、しかも在庫は増え続けており、これを何とかしようと、月に一度、役員が集まって解決策を検討していました。その会議に参加した時のことです。
経理部長は『在庫回転率が悪化している』、『費用に落とすベきだが、税務上損金になりそうもない』などと、後ろ向きの発言を繰り返しました。購買部長は『月末の材料仕入れは控えよう』と発言し、製造部長は『トヨタシステムを導入すベきだ』と言うものの、具体的にどうすればいいのか何も提案がない。そんなやり取りを、専務取締役は退屈そうに眺めていました。
その時でした。電話がけたたましく鳴り、専務は総務部長から受話器を受け取りました。それは、営業所の所長からの電話でした。所長は、昨夜泥棒が入り、50万円が入った金庫が盗まれたことを伝えました。すると専務は、それまでとは別人のように、大声でこう叱りつけました。『君は50万円がどれだけの大金なのか、分かっているのか!』どうやら、この専務は20億円の不良在庫より、盗まれた50万円の現金のほうが大切だったのです。
経理部長も、購買部長も、製造部長も、そして専務も、倉庫に積み上げられた製品在庫を『モノ』として見ているだけで、現金の別の姿とは見ていなかった、ということです。表現を変るなら、専務も、経理部長も、製造部長も、在庫の本質が分かっていなかった。このような人たちがどれだけ会議を重ねても、在庫削減の妙案が浮かぶことはないだろう、と思ったものです。彼らは『会計力』をまったく持ち合わせていなかったということです。『会計力』は経営者や役員に限らず、すベてのビジネスパースンが身につけておくベき力です」
私は、50万円の盗難について大声で叱った専務取締役の気持ちが理解できなくはありません。というのは、50万円の盗難は損失が現実になっている一方で、不良在庫は表面化していない損失だからです。一般的には、損失は、実際に金銭、または、資産の動きがあって発生するものと考えられているので、専務取締役のように、盗難に対して怒ることはもっともだと思います。しかし、会計には「見積もり」という考え方があり、20億円の「不良在庫」は、それが倉庫の中に保管されていても、なくなったものとして会計処理することができます。
ただし、実際には、さまざまな条件があり、必ずしも経営者の判断で自由に会計処理できるわけではないのですが、ここでは見積もりを根拠として会計処理できると考えていただきたいと思います。ちなみに、銀行も、融資相手の会社に対する融資の回収額について、定期的に見積もりを行っています。例えば、恒常的に赤字の会社に対する融資は、仮に、15%の割合で回収できないと銀行が見積もっていたとします。そうすると、そのような業績の会社に対する融資額(担保で回収できる見込み額を除く)の15%を、銀行は損失として計上します。
そして、もし、そのような会社に対して、新たに融資を行うことになったとすれば、最初から融資額の15%を損失に計上しなければなりません。このような事情があることから、銀行は、赤字の会社には、新たな融資を躊躇することが多いわけです。もちろん、その具体的な見積もりについては、銀行は外部に公表することはしませんが、会計のルールに基づいて、業績の悪い会社に対する融資は、銀行は、実際に回収できなくなる前に損失を計上しています。
そして、これは会計のルールを分かっている方、すなわち「会計力」のある方には自然に理解していただけることなのですが、もし、赤字の会社の経営者の方に「会計力」がないと、単に、「当社は業績回復に全力を注いでいるのに、銀行は当社に対して貸し渋りをしている」といったように、銀行の判断の合理性を理解できないままになるのではないかと思います。
もちろん、経営者の方に「会計力」があることが、直接的に、銀行から融資を受けにくい状態を解消することになるわけではありません。でも、会計のルールは、ビジネスにおける共通言語の面があるので、「会計力」のない経営者の方は、「会計力」のある経営者の方と比較して、課題に対処しようとするとき、適切な対応ができなくなる可能性が高くなるということは間違いはないでしょう。
2026/1/25 No.3329
