[要旨]
経営コンサルタントの大坂靖彦さんによれば、ある菓子メーカーの社長は、部下に一方的に話をしていた結果、離職する人が多く、売上が減少したことから、部下の話を傾聴するようにしたところ、部下たちの士気が向上したほか、経営の改善のためのヒントも得ることができるようになったということです。
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今回も、前回に引き続き、経営コンサルタントの大坂靖彦さんのご著書、「中小企業のやってはいけない危険な経営」を読んで私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、大坂さんは、かつて家電店を経営していたとき、店舗の要改善点が目につくと、都度、改善を指示していましたが、それは経営者の役割ではなく、ミスが生じないような仕組みづくり、ルール化、マニュアル化を実行することを通して改善点がなくなるようにしなければならないと気づいたということについて説明しました。
これに続いて、大坂さんは、経営者は部下の話をよくきくことが大切だということについて述べておられます。「塾生の酒井社長は40代前半で、せんベいなどを製造する製菓会社を経営していました。同社は酒井社長の祖父が創業した会社で、酒井社長は3代目、社員は50名ほどです。酒井社長が経営を承継してから3年ほど経ち、会社は大きなピンチを迎えていました。社員がどんどん辞めていき、売上が大きく落ち込んでいたのです。特に若手社員が多く退職してしまったために、酒井社長は会社の将来に危惧を覚えて相談にきました。
酒井社長は、決して怠惰な経営者ではありません。先代、先々代の社長に負けないようにと、社員とも積極的にコミュニケーションをとり、全社が一丸となってさらなる成長を目指そうとしていました。特に、会社の将来を担う中堅社員には、年齡が近いこともあり、熱心に指導をしていたといいます。しかし、私が会社に行って役員や社員にも話を聞いたところ、酒井社長の思いとは裏腹に、『社長がコミュニケーションをとってくれない』、『自分たちの思いを汲んでくれない』という強い不満を持っていました。なぜ、こんなミスマッチが生じてしまったのでしょうか。
『自分は、いつも積極的に社員とコミュニケーションをとるようにしているよ』と自認していても、実は一方的にいいたいことだけをいって、社員の話には真摯に耳を傾けていない社長は少なくありません。社長と社員の関係ですから、社長が話をすれば社員は神妙な顔で聞きます。しかし異論があったとしてもなかなかいえません。また、もし異論を唱えても、社長のほうが業務経験も長く、会社全体のことを理解していますから、異論を論破することも容易でしょう。そんな状況でも、社長は『コミュニケーションがとれている』と思い込むのですが、社員の気持ちは正反対です。
社員は、本当は社長に話を聞いてもらいたい、自分のことや仕事のことをわかってもらいたい、共感してもらいたいと思っているのに、社長がいつも一方的にいいたいことだけを伝えて、自分たちの意見には反論するばかりなので、不満を募らせます。やがて『社長は、社員とコミュニケーションをとる気がないんだ』とあきらめの気持ちになり、本音を伝えないまま会社を去っていくのです。こんなにもったいない話はないでしょう。
すベての社長に銘記してもらいたいのは、必ず『自分が社員に話す以上に、社員の話に耳を傾ける』ということです。最近の言葉でいえば『傾聴』を心がける。少なくとも自分が話す時間は4割、社員が話す時間は6割を目指してください。さらに、社員の話が未熟でも、いちいち反論したりせず、まずは社員の気持ちをありのままに受け入れましょう。一見未熟で素朴すぎると思われる社員の話の中に、自分では気づかないような、経営改善のヒントが見つかることもあります。
酒井社長の場合は、まず社員全員にアンケートを実施して、会社や社長に対する率直な不満をすベて洗い出してもらいました。私は記名式アンケートをすすめたのですが、酒井社長は『それでは社員の本音が聞けない』と、無記名式アンケートを実施しました。案の定、会社や社長がボロクソにこきおろされ、厳しい批判であふれましたが、酒井社長はそれを素直に受け止め、さらに社長が直接社員の話を聞く時間を多く設けました。
そして、社員の多くが、先代時代から続いてきた前近代的な経営体質、例えばサービス残業が横行していること、昇給等の社内規程がきちんと定められていないこと、福利厚生が貧弱であることなどに対して、不満を持っていることがわかりました。また、酒井社長が取り組もうとしていた新規事業に対しても、ただでさえ人手が足りないのに新規事業に取り組むなど、社長はいったい何を考えているのか、といった厳しい批判がありました。私は、しっかりと経営的な目線を持でる社員もいるではないかと感心したものです。
酒井社長も、そういった不備にはうすうす気づいていましたが、以前からの慣習としてそのままにしていたのです。そこで、それを機に思い切って数千万円の費用をかけて、待遇改善や福利厚生の充実に取り組みました。すると離職率が一気に改善して、社内に活気が戻り、業績も回復へと向かったのです。まさに、傾聴の効果ですが、それを謙虚に実行した酒井社長の決断も大したものでした。皆さんも一方的な伝達と、コミュニケーションとの違いをしっかりと理解し、傾聴に基づくコミュニケーションを実行するようにしてください」(184ページ)
コミュニケーションは意思疎通という意味ですが、酒井社長の部下の方の、「社長がコミュニケーションをとってくれない」という不満は、正確な表現ではないと私は考えています。部下の方の本当の不満は、「社長が自分たちの意見をきいてくれない」という不満なのだと思います。人がこのような不満を持つ理由については、私の専門外なので、正確には説明できませんが、社長が話をきいてくれるという事実によって、社長は自分を尊重してくれていると実感できますが、逆に話をきいてくれなければ、自分は尊重されていないと感じるのでしょう。
そして、そう感じた方の中には、会社で懸命に働こうとする士気が下がり、そして、退職してしまう人もいたのだと思います。話が少し外れますが、「部下の話を聴く」ことと、「部下の話に賛同する」ことは違うと、私は思っています。経営者の方の中には、「会社で仕事に関して最も詳しいのは自分なのだから、部下の話しを聴くことに意味はない」と考えている経営者の方もいるかもしれません。
でも、部下の方の話を聴くということは、前述したように、必ずしも部下の方の話に賛同しなければならないということではなく、部下の方が考えていることを知るために話を聴く、そして、そのことによって社長は部下を尊重していることを理解してもらうことが目的であると考えれば、部下の方の話をきく意味は大きいと考えることができるでしょう。そして、このような経営者の方はほとんどいないと思いますが、もし、部下の方を尊重することもできないと考えているのであれば、会社組織を維持することができず、図らずも部下が離れて行ったかつての酒井社長の会社のようになってしまうでしょう。
話しを戻すと、従業員の方の士気を高めたり、維持したりするためには、従業員の方の話をきくことが重要だということは、改めて述べるまでもありません。ところが、酒井社長のように、経営者の方の中には、一方的に話をしてしまう人が少なくありません。私自身もそうですが、人は誰でも自分の話を聴いてもらいたいという欲求がありますし、さらに、経営者の方は、会社をよくしたいという思いも強いので、自分の思いを伝えようとしてしまうことは、ある意味、自然のことなのかもしれません。しかし、一方的なコミュニケーションだけでは、酒井社長の会社のようになってしまうので、気をつけなければなりません。
ところが、人は、話を聴くことは苦痛と感じることも少なくなく、強く意識していないと自分だけが話をしてしまったり、話を聴くことを後回しにしてしまったりしてしまいがちです。ただ、これについては、大坂さんもご指摘しておられますが、従業員の方の話の中には、社長には気づかない視点での改善のヒントを得ることができることもあります。したがって、従業員の方の話を聴くことは、従業員の方の士気を高めることができ、また、改善のヒントを得ることもできる、一石二鳥の活動と考えると、前向きに取り組むことができるようになるのではないかと、私は考えています。
2025/10/24 No.3236
