[要旨]
株式会社識学の社長の安藤広大さんによれば、あるベンチャー企業が、他社から優秀な人を集めて、新しい事業を始めたものの、失敗してしまったということです。その理由は、他社から集めた優秀な人たちには組織適応能力が欠けていたため、十分な能力を発揮できなかったからだそうです。
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今回も、前回に引き続き、株式会社識学の社長の安藤広大さんのご著書、「リーダーの仮面-『いちプレーヤー』から『マネジャー』に頭を切り替える思考法」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、安藤さんによれば、多くの仕事では高度なスキルは必要がないため、最初は各従業員のそれまでの経験の差によってスキルの差が現れるものの、経験を重ねることによって、その差は縮まり、そのような状態になると、組織全体として成長のスピードが高まるため、リーダーは組織がそのようなステージに至るよう促すことが大切だということについて説明しました。
これに続いて、安藤さんは、組織に優秀な人だけを集めても、必ずしもうまくいくとは限らないということについて述べておられます。「先ほど、『人間には能力の差がほとんどない』と述ベました。それを証明する事例があります。あるベンチャー企業は、他社の『超優秀』な人たちをたくさん集めて、多くの新規事業に乗り出しました。各社で実績を出しているのだから、彼らを集めて新しい事業を始めれば、すごいことができそうに見えます。しかし、結果はどうだったでしょう。すベての事業が失敗に終わりました。なぜなら、彼らが考えていた『優秀さ』からは、『組織適応能力』の概念が抜け落ちていたからです。
識学では、組織適応能力までを含めて『優秀さ』だと捉えています。組織適応能力と能力の重要性は、50対50の関係です。だから、どんなに元の能力が高くても、適応能力が低かったら、どの会社に入っても半分のカしか発揮できないのです。それに、能力のある人間に限って、『適応したくない』というようなことを言い出します。(中略)監督不在のスポーツチームが優勝することがないように、競争を勝ち抜いていくためには、必ずリーダーのポジションが必要になってくるのです」(249ページ)
かつては、優秀な人を集めれば、その組織の成果も大きくなると考えられていることもありましたが、現在では、優秀な人を集めたからといって、必ずしも、成果も大きくなるとは限らないということは、広く認識されていると思います。その例は、フィクションではあるものの、作家の岩崎夏海さんの大ヒット小説、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」に登場する高校野球のチームのお話しです。(ご参考→ https://x.gd/525Tv )
この小説では、甲子園出場などできるはずがないと選手たち自身が考えていた、東京都立程久保高校の野球部の女子マネージャーが、ドラッカーのマネジメント理論をもとに、チームを改革し、甲子園出場を果たすという物語です。ストーリーはフィクションとはいえ、この小説を読むことで、マネジメントによって組織の成果は高まるということを十分に理解することができます。
話を戻すと、安藤さんは、組織の構成員の組織適応能力の重要性を述べておられます。以前、安藤さんが例として挙げたマンモス狩りの例からも分かる通り、個人が得る利益は、個人が単独で活動するよりも、組織の一員として活動した方が大きいというこについて、異論のある人はいないでしょう。そうであれば、個人の能力が高くても、組織適応能力が低い人よりも、個人の能力が低くても、組織適応能力の高い人の方が、得ることが出来る利益は多くなる可能性があるということです。
このように考えれば、安藤さんがご指摘するように、組織適応能力が重要ということも理解できると思います。これは、これまで私が中小企業の事業改善のお手伝いをしてきた経験から感じることなのですが、起業した人の中には、その人の能力は高いものの、組織適応能力が高くなくて、いわゆる喧嘩別れのように勤務先を飛び出して起業したという方も少なくないようです。そして、そのような人が会社の経営者になっても、独善的な経営になってしまい、業績はあまりよくならないことになることが多いと考えられます。
結論としては、会社の業績を高めるためには、経営者の方が、いわゆる「優秀な人」を揃えることよりも、組織適応能力の高い人材を集めたり、現在、所属している従業員の方の組織適応能力を高めたりすることと、「東京都立程久保高校の野球部の女子マネージャー」のように、組織としての能力を高めるためのマネジメントを行うことが欠かせないと、私は考えています。
2025/7/14 No.3134
