[要旨]
野村運送社長の野村孝博さんは、部下たちと話をしているとき、場を和ませようとして軽い冗談を交えてを話したところ、後になって、従業員たちの顰蹙を買ったと伝えられたことがあるそうです。このような経験から、野村さんは、社長の言葉はとても重いということを認識し、器用に話をすることができないのであれば、社長は慎重に言葉を選ぶ必要があり、社長が言いたいことを話してばかりいると、部下たちの士気を下げてしまうことになると考えているそうです。
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今回も、前回に引き続き、野村運送社長の野村孝博さんのご著書、「吉野家で学んだ経営のすごい仕組み-全員が戦力になる!人材育成コミュニケーション術」を読んで私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、野村さんは、同社において、安全衛生委員会や運輸安全マネジメントに関わる講習など、会社の方針をしっかり伝える機会が必要であるにもかかわらず、全員出席の機会がないことに頭を悩ませていましたため、自社で講習をすることにしたところ、講習以外にもドライバーといろいろな話をする機会ができ、時には愚痴めいた話も出てきて、従業員のストレスが解消されるようになり、事業活動によい影響が出て来るようになったということについて説明しました。
これに続いて、野村さんは、経営者は部下と話をするときに注意が必要ということについて述べておられます。「コミュ二ケーションを大切にするといっても、アルパイトと社員との間にはどうしても一定の距離ができてしまいます。私自身は指定された時間帯の責任者という立場になっていたので、今思えば社員の方に大変可愛がってもらいましたが、やはり当時はアルパイト同士の関係のほうが円滑で楽しいものでした。そうしたアルパイトの輪に、社長や社員も入ろうと楽しい会話をしてくれましたが、やはり年代のギヤップなのか、楽しませようとしているユーモアが顰蹙を買っていることがよくありました。
これは私自身にも経験があり、自分で気がつくことができなかったものを含めて、何度も顰蹙を買っていると思います。『社長、さっきのはちょっと……』と咎めてくれた人に対しても、言われた直後はあまりいい反応ができていませんでしたが、今では、そうした言葉のありがたみを感じています。それくらい社長、あるいは上司の言葉は重いのです。こちらとしては、軽い冗談を言って場を和ませよう、くらいに考えていたとしても、受け入れてもらうのは難しいものです。
世間を見渡すと、政治家や企業経営者の失言報道がたくさんあります。会合時のあいさつなどの言葉尻を捉えて、失言として叩くような姿勢はどうかと思いますが、そうした失言とされる言葉のほとんどは重要ではないことです。ちょっと笑いを取ろうとしたのかなと思えるものも多くあります。しかし、そうした失言で失脚してしまった方がいるのも確かで、そうした点からも学ぶベきでしょう。ためになる話や偉人の言葉も同様です。誰でも新しく得た知見は披露したくなってしまうものでしょう。
社長ともなればセミナーを受講したり、本を読んだりと熱心に勉強される方もいると思いますが、セミナーや本で新しく得た知見を、自分の中でしっかりとかみ砕くことができないままに、やたらに社内で使っても、相手に伝わるようなことはほぼありません。また、どんなに素晴らしい言葉でも、適切なタイミングで使わなければ伝わりません。『知見を披露したい』という私欲が強く出てしまうと、知見を無理やりねじ込むような会話になって、相手は私欲ばかりを感じてしまうことでしょう。中小企業の社長の言葉は社員に大きな影響を与えます。
ときに、言葉一つで社員のモチベーションを大きく減退させてしまったり、アイディア段階の話が伝聞で決定事頂として伝わってしまったり、私自身が言葉をうまく使いこなせるほうではありませんから、『いやいや、そういうことじゃないんだ』と何度も訂正に奔走した経験があります。楽しい冗談をうまく使いこなせれば、社員との会話も弾みますし、名言を適切に使えれば相手の心に響くかもしれませんが、そうしたことを器用にできる自信がないリーダーは、とにかく真面目に一生懸命言葉を積み重ねましょう」(111ページ)
今回の引用部分には、野村さんのどのよううな言葉が顰蹙を買ったのかが具体的に書かれていないので、少しイメージがわきにくいのですが、職位が異なる人同士では意思の疎通が難しいということは野村さんのご指摘の通りだと思います。中小企業であっても、社長と一般社員の間では、対等に話をするということは難しいと思います。これは会社の事例ではないのですが、千葉ロッテマリーンズの監督の吉井理人さんが、ご著書、「最高のコーチは、教えない。」の中で、吉井さんが福岡ソフトバンクホークスの投手コーチをしていたときのことについて、次のように書いておられます。
「2015年、福岡ソフトバンクホークスで投手コーチとしてブルペンを担当した。そのときの監督は工藤公康さん、メインの投手コーチは佐藤義則さんだった。2人とも、現役時代は超一流のピッチャー、レジェンドだ。選手から見れば、どうしても社会的勢力の差が大きくなる。叱責されると委縮し、一気にモチベーションが下がってしまうこともある。
しかも、アドバイスのレベルが選手のレベルを大きく超えてしまうこともしばしばあり、内容が理解できないため、混乱する選手も中にはいた。僕がホークスにいた1年間は、選手たちに『何でも質問に答えるので、参考書代わりに使ってよ』と言った。レジェンドの指導内容を分かりやすく『翻訳』する役割に徹しようと思ったからだ」(42ページ)
一般的に、経営者は従業員と比較して業歴が長いので、その経営者の「常識」で話をしても、従業員に伝わる部分はあまり多くないのですが、ついつい、経営者は、従業員も自分の話が理解できる相手という前提で話をしてしまいがちです。吉井さんがソフトバンクのコーチをしていたときの工藤監督も、同様のことをしてしまっていたのだと思います。
これに対して、「会社の部下は、もっと勉強して、経営者の言っていることを理解できるようにすべきだ」と考える経営者の方もいると思います。確かに、従業員であっても、たくさん勉強すれば、経営者の言っていることを理解できるようになるかもしれません。でも、私は、従業員が経営者の言葉を理解するための努力はまったく不要ではないとしても、優先順位は低いと思います。
事業活動の現場にいる従業員の方たちが最も注力すべきことは、目の前の課題に対処することだと思います。それを繰り返していけば、徐々に、経営者の言っていることを理解できるようになってくると思います。一方、野村さんがご指摘しておられるように、経営者の方が、「部下たちは、自分の言っていることはなかなか理解できない」という前提で、どのように話をすれば理解してもらえるようになるかと考えて訓練することが現実的だと思います。
もちろん、このコミュニケーションスキルを高めることは難しいことなので、時間をかけないと思うような意思疎通ができるようにならないと思いますが、だからこそ経営者は誰にでも務められるとは限らないやりがいのある役割だと言えるでしょう。少なくとも、「部下は自分の言っていることは理解できて当然」と勘違いしたまま、自分が言いたいことだけを部下に話すような経営者は、職場の士気を下げてしまうということを認識する必要があると思います。
2025/6/1 No.3091