鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

訓練で帰属意識が仕事から会社に移る

[要旨]

野村運送社長の野村孝博さんによれば、同社には話すことが苦手なドライバーがいたそうですが、業務の変更により、拠点となる物流センターに電話で報告する頻度が増加したところ、彼の報告の仕方が現場で間題になっていました。そこで、野村さんは「電話をする前に、話すことをいつもより大きめの声で5回繰り返してから電話をしてみよう」と提案し、実践してもらったところ、改善が見られたそうです。ドライバーの中には、変化に対応できずに離職してしまう人も少なくないですが、彼は、20年間勤め続けているということです。


[本文]

今回も、前回に引き続き、野村運送社長の野村孝博さんのご著書、「吉野家で学んだ経営のすごい仕組み-全員が戦力になる!人材育成コミュニケーション術」を読んで私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、野村さんは、吉野家のアルバイト時代に、マニュアルで仕事を習得した経験から、野村運送でもマニュアルを作成していったそうですが、最初から完全なマニュアルを作成することはできなかったものの、何もないまま自分の経験則を口頭で伝えようとしても漏れが出てしまうので、マこュアルがあることによってそうした不備を防ぐことができるということがわかり、マニュアルは口ールプレイとOJTで補完することを前提に作成するベきと考えているということについて説明しました。

これに続いて、野村さんは、ロールプレイによる人材育成の重要性について述べておられます。「弊社は運送会社ですから、社員の8~9割はドライバーです。運転が主な仕事ですから(中略)、話し方を意識するような人はほとんどいません。そもそも、話すことがそれほど必要な仕事でもありませんから、ロールプレイを応用する機会はほとんどありませんでした。しかし、今までやっていたコンビニエンスストアへのルート配送業務が大幅に変更になるというとき、私も現場を把握するためトラックに同乗した際、ロールプレイを応用することができました。

同乗させてもらった数台のトラックの中に、話すことに極端に苦手意識を持っているドライバーがいました。彼には吃音障害があり、うまく話ができないことから、自分にはドライバーという仕事が向いていると思っていました。コンビニエンスストアへの配送は納品先の店舗での作業をしっかりと覚えてしまえば、イレギュラーな事態がほとんどありません。店員さんとのやり取りもあいさつ程度で済むので、彼に向いている仕事でした。しかし、業務の変更により、拠点となる物流センターに電話で報告する頻度が増加しました。

彼は対面で話をする以上に電話が苦手で、報告の電話をしようとすると極度に緊張してしまい、たどたどしい話し方になってしまうのです。報告する相手も別の担当者に変わっており、彼のことを理解していない方ばかりになってしまったため、彼の報告の仕方が現場で少し間題になっていました。通常は、そうした細かい状態までは私の耳に入ってこないことが多いのですが、たまたま同乗したトラックのドライバーが話してくれたので私の知るところとなりました。早速、翌日に彼のクルマの助手席に乗りました。確かにたどたどしい話し方でしたが、何とか伝えようという努力はしていました。

私は吉野家時代のロールプレイを思い出し、『電話をする前に、話すことをいつもより大きめの声で5回繰り返してから電話をしてみよう』と提案しました。話すことなどというのは『野村運送の○○です、××店の配送終了しました』程度でいいので、5回練習しても大した時間はかかりません。やってみてもらうと、1回目からかなりよくなりました。その後、管理者に『社長に“練習してから電話しろ”と言われたので、今も続けてやっているらしいです』と報告を受けました。

ある程度スムーズに話ができるようになって、お客様のストレスも軽減されましたが、何より彼自身が報告という苦手意識の強い仕事のストレスからある程度解放されたことが、ロールプレイのいちばんの成果でした。仕事に変化はつきものですが、ドライバーの中には変化に付いていけずに退職してしまう人も多くいます。残念ながら、会社よりも仕事そのものに帰属意識を持つ人が多いので、変化に対して、努力して適応しようという姿勢にならず、『自分に合うほかの仕事を探そう』という発想になってしまうようです。

ドライパーの離職率が高いのはそうした点に原因があり、本件でも、そのまま放置していたら退職という話になっていたかもしれません。結果として、変化に対応する姿勢を学んでもらうことができて、このドライバーも今では20年選手になりました。その間、弊社はコンビニエンスストアの配送から撤退してしまったのですが、今も別の仕事で頑張ってくれています。帰属意識が仕事から会社に移ったことをうれしく思っています」(97ページ)

野村さんは、話すことが苦手な従業員の方に、話し方の練習をしてもらい、苦手意識を克服してもらったことで、会社への帰属意識が強まったという主旨を述べておられます。私は、ここで注目したことは、練習して苦手なことを克服したということよりも、苦手なことが克服できたとで、会社への帰属意識が高まったということです。もちろん、苦手なことを克服することは、直接的には、スキルの改善が目的です。でも、その副次的な効果として、会社への帰属意識が高まるということを考えると、経営者の方は、人材育成を、より前向きにとらえることができるようになると思います。

そして、野村さんが、社員教育は最も重要な項目と考えていることや、後回しにすることはあっても中止することはないと考えていることについても、より理解が深まるでしょう。これについて、裏付けとなる理論にはいくつか考えられますが、最もシンプルなものは、動機付け・衛生要要因だと思います。これは、米国の臨床心理学者のフレデリック・ハーズバーグが提唱した考え方で、人は、仕事に関して不満足を感じる原因となる衛生要因と、満足を感じる原因となる動機付け要因があるというものです。衛生要因の具体的なものは、給与、会社の方針や職場の環境で、これらが不十分なときに不満足を感じます。

動機付け要因の具体的なものは、仕事の内容、達成感、承認などで、これらが十分であれば満足を感じます。野村運送の場合、話し方の練習をすることで、達成感を感じ、それが動機付け要因となったことから、会社への帰属意識が強くなったのだと思います。よくありがちなのが、経営者の方が従業員の方に満足してもらおうとして給与を増やすことがありますが、これだけでは不満はなくなりますが、満足感を感じてもらえない可能性があります。

人は有機的な存在なので、物理的な金銭だけでは、十分に満足感を感じてもらえないと、経営者の方は考えなければならないと思います。とはいえ、従業員の育成は労力が書かかることから、中小企業では避けられがちです。でも、これからは、価格や品質で競争することが難しい時代なので、経営者の方は、野村運送のように、従業員の育成に注力する会社が競争に勝てる会社になっていくと、私は考えています。

2025/5/28 No.3087