鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

時間前の朝定食の注文からの学び

[要旨]

野村運送社長の野村孝博さんが、吉野家でアルバイトをしてきたとき、5時55分に来店した顧客から朝定食の注文を受けたものの、6時になっていなからと断ったことがあったそうですが、後に社員の方にきいたところ、席で6時まで待ってもらえば朝定食を提供してよかったときき、顧客からの要望には柔軟に応じる考え方が重要ということを学んだということです。


[本文]

今回も、前回に引き続き、野村運送社長の野村孝博さんのご著書、「吉野家で学んだ経営のすごい仕組み-全員が戦力になる!人材育成コミュニケーション術」を読んで私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、野村さんが、吉野家でアルバイトをしてきたときの牛丼の価格は400円でしたが、セールのときは価格の25%に相当する100円引きで販売することがあり、このようなことができるのは、日次決算や原価計算をしっかり行い、客数増加によって利益を得られる勝算があったからと考えられるということについて説明しました。

これに続いて、野村さんは、お客さまからの要望に柔軟に対応することの重要性について述べておられます。「吉野屋の企業理念に『一人でも多くお客様に滿足を提供し続ける』というものがあります。私が在籍していた当時もお客様第一を掲げていました。マ二ュアルにはない“つゆだく”や“ネギだく”などという注文の仕方が存在するのもその名残でしょう。マ二ュアル一辺倒にならず、融通が利くところも魅力ですが、朝定食の提供時間は厳守でした。

多店舗展開しているので、『○○店では対応してくれた』ということにならないように、各店舗が足並みをそろえています。私が勤務していた時は午前6時に朝定食の提供を開始していましたが、ある日、5時55分にいらしたお客様が『朝定食、納豆』とぶっきらぼうに言い放ちました。

ここは融通してはいけないところなので、『朝定食は6時からになります』、『5分くらいいいだろ』、『申し訳ございません、それはちょっと……』というやり取りの後、そのお客様は、『朝から牛丼かよぉ』と言い放ち、不本意な様子で牛井を食ベました。正直なところ、『料亭じゃないんだからそんな融通は利かないよ』と言いたくなりましたが、ぐっと飲みこんで、この件を8時に引継ぎにきた社員に話しました。いや、愚痴りました。すると、その社員は意外な言葉を返してくれました。

『そういうときは、“時間前に提供はできませんが、時間までお待ちいただいてもいいですよ”と言えば、お客様は“えっ?待っていていいの?”と意外に思うはずだし、“お待ちいただければ、一番に提供いたします”と言えば、お客様は“一番”という言葉に喜ぶはずだよ』と教えてくれたのです。これには驚かされました。私の頭の中には『朝定食は6時から、6時前だから提供できない』しかありませんでした。一方、お客様は『5分くらいいいだろ』という不満だけが残ってしまったに違いありません。

お客様の要望をもっと柔軟に受け入れていればそんな結果にはならなかったのです。そのときの経験が、今、弊社で次のように生かされています。運送会社では、2トン、4トン、10トンというトラックの大きさを基準に会話をします。『ウチの会社の商品10トン分を、10トン車に積んで○○市の××工業様まで運んでください』、『今日の荷物は3トン分しかないので4トン車の確保をお願いします』といった具合です。

弊社は150台のトラックを保有していますが、お客樣が運んでほしい商品の量や日にち、場所は一定ではないので、毎日パズルをしているようなものです。ある日、『明日の朝一番で10トン分の商品を納品してほしいんだけど』と電話がありました。しかしその日は予約がいっばいで10トン分を運ベるトラックがありません。断ることはできますが、『お客様に満足を提供する』という吉野家魂に反します。

そこで、『明日の朝一番にトラックは用意できないのですが、今晩20時なら3台のトラックを集めて納品が可能です、いかかですか?』と提案したところ、喜んでもらえました。『朝一番に持ってきて』というお客様の依頼、その一点に固執していたら、お客樣は困っていたことでしょう。お客様の希望になるペく近い答えを提案・提供すること--。朝定食からの学びです」(62ページ)

マニュアルや規則は、なんの根拠もなくつつくられたわけではないので、原則的にその内容は守らなければいけません。野村さんが述べておれるように、吉野屋の朝定食の提供時刻も、すべての店舗で足並みを揃えなければならないという観点から、提供時刻は厳守しなければなりません。しかし、これも野村さんが述べておられるように、従業員がマニュアルに形式通りに従うだけでは、ビジネスチャンスを逃したり、顧客満足度を下げることになってしまいます。

そこで、無機的なマニュアルを破らない範囲で工夫の余地がないかを検討するところに、有機的な従業員の存在意義があるのだと思います。私は、その事例として、質の高いホスピタリティを提供することで有名なザ・リッツ・カールトン・ホテルに伝わっているという逸話を思い出します。

「(元ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長の)高野さんは講演台で語る。『リッツ・カールトンは決してホームランバッターをつくろうとはしません。バントでコツコツかせぐ選手と組織をつくっているだけなんです』リッツ・カールトンのホスピタリティマインドを語るときに持ち出される有名なエピソードがある。浜辺でプロポーズをしようと思った男性客が、スタッフに『ここにいすを一つ残しておいてくれませんか。後で彼女にプロポーズをしたいんです』と頼んでおいた。

日没後にその男性客がフィアンセを伴って浜辺に戻ってきたときにはいすはもちろんのこと、純白のテーブルクロスを敷いたテーブルにシャンパンを置いて花びらを散らし、おまけに男性がひざまずいたときに服が汚れないようにと、いすの前にはタオルが敷かれていた。そして、プロポーズの舞台を完璧に整えたそのスタッフは、タキシード姿に着替えてほほ笑みながら二人の到着を待っていたという。

『この話を聞いて、“いやあ、リッツのスタッフはすごいなあ”という人もいるのですが、たいしたことではないんです。お金もかけていませんしね。種明かしをすると、そのスタッフはまず宴会係に頼んで、その日のパーティで使い終わった花をもらってきた。それからレストランに行ってワイン業者の方が試飲用に置いていったシャンパンを1本わけてもらった。最後にバンケットキャプテンからタキシードを借りて戻ってきた。ただそれだけなんです』

その“たいしたことではない”サービスに、2人の男女のお客さまは劇的に感動したという。だがしかし、高野さんはそのスタッフが決してホームランバッターだったわけではない、というのだ。『みんながコツコツとバントを打った結果、点数が入ったのです。大切なのは、このバントを途切れずに打ち続けることです。

先ほどの例で言えば、もし宴会係が花をくれなかったら…。もしレストランがシャンパンを分けてくれなければ…。もしキャプテンがタキシードを貸してくれなければ…。どこかが途切れていても、点数は入りませんでした』大事なのはスタッフ全員がバントを打てる環境をつくっていくこと。そのためには、トップが明確なビジョンとミッションを強力なリーダーシップによって示してやらなければならない」

リッツ・カールトンの事例は、マニュアルとは関りがありませんが、コストをかけないという制約の下で、質の高いホスピタリティを提供したという面では、吉野家の事例に共通していると思います。事業活動において競争力を高めていくためには、まず、マニュアルに忠実に仕事ができるようにすることから始め、それができるようになれば、マニュアルを超える業務を目指していくということになるでしょう。

ただ、マニュアルを超える業務は、従業員に一朝一夕に習得させることはできません。それを習得させる機会や環境を提供し、根気強く従業員を育成していくことが、現在の経営環境において経営者に求められる重要な役割であると、私は考えています。

2025/5/22 No.3081