[要旨]
管理会計の考え方では、「他の選択肢から得られたであろう利益」を「機会損失」と言いますが、意思決定において重要なことは、機会費用は意思決定に含めて考えなければならないということです。一方で、財務会計の考え方では、機会損失があったかどうかを把握することはできませんので、意思決定の正しさを判断するときに限界があります。
[本文]
今回も、前回に引き続き、公認会計士の金子智朗さんのご著書、「教養としての『会計』入門」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、管理会計では、意思決定に影響を与えない費用を埋没費用と言い、具体的には、人件費や固定経費などの固定費が該当しますが、人事權を握っている人にとって人件費は変更し得る費用なので、すベてが埋没費用になるとは限らないものの、過去に発生した費用は例外なく埋没費用になるので、意思決定において、埋没費用を判断の要因に含めることは避けなければならないということについて説明しました。
これに続いて、金子さんは、機会費用について述べておられます。「3つ目の管理会計特有の費用概念は、機会費用です。定義は、『他の選択肢から得られたであろう利益』です。『機会損失』とも言います。『利益が費用』という少し変わった定義の費用です。ここでの『利益』は、他で起こっている『良いこと』というぐらいの意味で捉えればいいでしょう。イメージ的には『隣の芝生は青く見える』感覚です。(中略)意思決定において重要なことは、機会費用は意思決定に含めて考えなければならないということです。(中略)
機会費用の概念は、何らかの効果を測定する際にも非常に重要です。業務効率化の効果もシステム導入の効果も、機会費用の概念がないと正しく評価できません。たとえば、新しいシステムを導入したことによって業務が効率化され、今まで10人でやっていた業務が7人でできるようになったとします。このような場合、『3人分の人件費が浮いたので、それだけシステム導入の費用対効果が出た』という“作文”をよく見掛けますが、これは全くのウソです。その3人をクビにするなら、この話は正しくなりますが、クビにしないのあれば人件費は全く削減されません。
『浮いた3人は他の業務を担当することになるので、効果は出るのではないですか?』と言う人がいますが、これではまだ効果は不明確です。他の業務を担当することによって、売上増加または費用削減がどれだけ見込めるかを考えなければ『効果』とは言えません。これは、まさに機会費用相当分です。システム導入前は、今の業務を行っているために、他業務を行ったならば得られるであろう利益を取り損ねている状態です。システム導入によって、その利益が得られるわけですから、機会費用が削減されるということです。
日本では、業務効率化の効果を機会費用まで踏み込んで明確にしようとする企業はほとんど見ませんが、アメリカでは至って普通に見られます。その差は、合理的な意思決定の浸透度の違いにもありますが、もう1つには、メンパーシッブ型とジョプ型という雇用形態の違いがあるように思います。多くのアメリカの企業で採用されているジョプ型は、やるベきジョプがあるからそこに人をアサインするという順番です。ジョブがなくなれば、人はレイオフされます。
そのような土壌では、人を他のジョプに振り向けたときの経済効果を当然のこととして考えるのだと思います。それに対して、多くの日本の企業で採用されているメンパーシップ型は、会社というコミュ二ティに属していることが大前提ですので、人ありきです。人がいるからそこに仕事をアサインするという順番で考えます。野球は本来9人でやるものですが、『今15人いるので、サードは3人、センターも2人で守って』ということを普通にやるということです。
人ありきなので、誰がどういう仕事をするかによって、どういう具体的な経済効果があるかということは、明確に考えない思考が普通になっているのかもしれません。『他の業務を担当することになるから効果が出る』という言い方に、『とにかく何か仕事をやってさえいればそれでいい』という考え方がにじみ出ています。機会費用相当分を考えない業務効率化は何か良いことをやった気にはなれますが、経済効果はほとんど何も出ない、単なる自己満足で終わります」(288ページ)
以前、ユニクロの機会損失に関する事例をご紹介しました。すなわち、2010年8月期に、ユニクロの看板商品であるヒートテックが大ヒットし、5,000万枚を販売したものの、品切れになり、翌期に7,000万枚を製造しましたが、もし、2010年8月期に7,000万枚を製造していれば、104億円の機会損失を回避できたと、金子さんは試算しています。
ここで、正確な需要予測をすることは難しいという問題がありますが、それはひとまず置いておいて、財務会計には機会損失という考え方はないので、ユニクロの例では、ヒートテックの製造枚数を5,000万円とした意思決定が正しかったかどうかは、正確に判断できないということです。逆に、財務会計だけの観点からは、5,000万枚を売り切ったので、正しい経営判断だったと評価できてしまいます。
でも、管理会計の機会損失という考え方があるからこそ、104億円の機会損失が発生したという情報が加わるので、ヒートテックを5,000万枚売り切ったけれど、7,000万枚製造する判断の方が、より正しい判断だったということが分かるわけです。もちろん、商品の需要は結果論という面もあります。ヒートテックは5,000万枚製造するという決定をしたけれど、結果は3,000万枚しか売れないかもしれないという可能性は、事前には否定できなかったでしょう。
一方で、ユニクロの柳井さんは、「品切れは在庫を残すより悪である」と言っていますが、この考え方に基づく評価は、繰り返しになりますが、財務会計のデータだけでは不可能です。管理会計は、経営判断のための制度ですから、財務会計では不足するデータを得るためのものということは当然と言えるわけですが、この事例からも、管理会計がなぜ重要なのかが理解できると思います。
2025/5/12 No.3071