[要旨]
評論家の山本七平さんは、著書、「『空気』の研究」で、太平洋戦争末期、旧日本海軍の戦艦「大和」が沖縄への出撃を命じられた際、沖縄出撃を無謀だと反対する人たちのほとんどが、データに基ついた主張を行う一方で、沖縄出撃について当然だと主張する人たちは、「当然だ」という強い口調があるだけで明確な理由を提示しなかったという例をとりあげ、議論がまったく通用せず、「空気」によって決断されるというメカニズムは日本社会の至るところて起きていると指摘しています。
[本文]
今回も、前回に引き続き、経済評論家の加谷珪一さんのご著書、「国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶」を読んで私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、加谷さんによれば、1990年代以降になっても、立場が下の相手に対して抑圧的に振る舞い、上下関係でコミュニケーションを保つ会社は少なくなく、このような企業文化の会社が、確実に国民のマインドを暗くし、長い景気低迷にの要因になっていたと考られるということについて説明しました。
これに続いて、加谷さんは、日本では、「空気」によって非合理的な決断が行われることがしばしば起きるということについて述べておられます。「日本では『空気を読め』といった言葉が多用されていますが、空気というのはまさに、その場の雰囲気や流れのことを指します。多くの日本人が空気を付度しながら行動し、社会全体が『空気』に縛られているわけですが、この状況を見事に描き出したのが、山本七平のベストセラー『“空気”の研究』です。
この本が出版されたのは1977年ですが、同書で指摘されている内容は、今の日本とまったく同じです。『“空気”の研究』において山本は、太平洋戦争末期、旧日本海軍の戦艦『大和』が沖縄への出撃を命じられた際、沖縄出撃を無謀だと反対する人たちのほとんどが、データに基ついた主張を行う一方で、沖縄出撃について当然だと主張する人たちは、『当然だ』という強い口調があるだけで明確な理由を提示しなかったという話を取り上げます。そして山本は大和の出撃という重要な決断が、その場の『空気』によって行われたと指摘しました。
ちなみに大和の沖縄出撃は、戦略的にはほとんど意味がなく、途中で米軍機に攻撃される可能性が高いという状況下で決断されたものです。山本は科学的な議論がまったく通用せず、すベでが『空気』によって決断されるというメカニズムは日本社会の至るところて観察されるとしています。そして『空気』が持つ力は絶大であり、空気によって馬鹿げた行為が決断されたとしても、後になって責任者が『なぜそれを行ったのか、一言も説明できないような状態に落とし込んでしまう」(『“空気”の研究』)と述べています。
さらに山本は、『空気』に対して『水』という概念をうまく対比させました。水というのは、空気という雰囲気に対してリアルな現実のことを示しており、醸成された『空気』は、『水を差す』行為によって消滅します。日本では、全員が取り付かれたかのようにひとつの主張に贊同していたかと思うと、何らかの出来事や発言をきっかけに、一気にその流れが変わるということがよく起こります。これが『水』のもたらすパワーということになるでしょう。
山本は、空気が水によって消滅するものの、水によって新しく出てきた意見が、今度は絶対視され、あらたな空気を醸成するとしています。『空気』と『水』という身近で対比しやすい物質をうまく組み合わせ、日本社会の仕組みを明瞭に描き出したことから、この作品は極めて高い評価を受けました。空気と水の関係性はともかく、合理性というものが働かず、その場の雰囲気で決断が行われるという状況は今でもまったく変わっていません。
いつの時代においても、空気を形成する側にいる人の声は大きく、かつ威圧的であり、しまいには無関係な人たちまでも、こうした空気に忖度するようになります。やがては、何も言われていないのに自ら行動を抑制するようになっていきます。山本は『空気』の実体をつかむことが執筆の目的であるとして、空気が支配した先に『自由』がどうなるのかについでまでは言及しませんでした。しかしながら、皆が空気を恐れ、それに忖度し、自己抑制ばかりしている社会において、本質的な自由が得られる可能性は低いと言わざるを得ないでしょう」(162ページ)
加谷さんも、山本七平さんも、「空気」について、消極的に評価していると思いますが、私も同じように考えています。しかし、恐らく、令和時代になっても、この「空気」はまだ残っているのではないかと思います。その理由について、私は専門性はないことをご容赦いただきたいのですが、(1)空気があると、意思決定の過程において、波風を立てなくてすむ、(2)決定事項について、精緻、かつ、論理的な説明をしないですむ、(3)決定事項に関する結果が、目指すところとならなかったとき、その責任の所在を曖昧なままにしておくことができるからではないかと思っています。
もちろん、このような姿勢で決定された内容は、成功を目指すというよりも、決定した人同士の関係維持を優先したり、説明責任や結果責任から逃れることを優先したりしており、当然、成功を目指そうとする人たちの間で決められたことよりも、よい意思決定ができないであろうということは、容易に理解できます。そして、波風を立てないことを優先させたり、責任の所在を曖昧にしたりするという思考は、ムラ社会的な思考でしょう。
ここで、ムラ社会を批判する意図はありませんが、組織の目的を達成しようとする観点からは、「空気」によって非合理的な意思決定をすることは、避けなければならないと、私は考えています。もちろん、ムラ社会的な組織を、合理的な意思決定ができる組織になるようにすることは極めて難しいかもしれません。中には、それがまずいとわかりつつ、変わることができなかった結果、倒産するまでに至ったという会社も少なくありません。だからこそ、経営者の方は、「空気」で意思決定をする企業風土を変えることに、注力しなければならないと言えるでしょう。
2025/2/8 No.2978
