[要旨]
株式会社識学の社長の安藤広大さんによれば、経営者の方が部下に対して指導をしたとき、部下の方が、「何かを改善しないといけない」、「自分が変わらないといけなくなる」という、正しい恐怖を感じてもらうことが必要だということです。そのためには、評価基準を明確にする仕組み化が効果的であり、ルールにないことで指導をしてはいけないということです。
[本文]
今回も、前回に引き続き、株式会社識学の社長の安藤広大さんのご著書、「とにかく仕組み化-人の上に立ち続けるための思考法」を読んで私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、安藤さんによれば、マネジャーは、従業員の責任に応じた権限が委譲されている状態をつくらなくてはならないので、部下には、「もし、この責任を果たす上で自分の権限が足りないと感じたら、そのことを報告してください」と伝えておく必要があるということについて説明しました。
これに続いて、安藤さんは、評価基準を明確にすることが重要であるということについて述べておられます。「本来なら、指導された後に、『このままではまずい』という、恐怖が本人の中に芽生えないと、意味がありません。『怖い人になれ』と言うと、勘蓮いして、次のような人を想像するでしょう。『ウチの部長には急に怒り出す謎の地雷があって、それを踏まないように部下かビクビクして過ごし、つねに機嫌を損ねないようにしています……』そのような環境では、『忖度』や『ゴマすり』が横行します。
こういう恐怖政治は絶対にNGです。なぜなら、指摘されたことで『何を改善すればいいか』がわからないからです。『それを言われて、次はどうすればいいのだろう……』と、部下を迷わせるような指導は、何の意味も持ちません。逆に、本当に必要な指導をすると、次のようなことを感じるはずです。『未達が続いて相手にされず、行動するしかなくなる』『このまま成長しないと、会社に居場所がなくなるかもしれない』そういう危機感が芽生えるのが、正しい指導です。
なぜなら、次に何をすればいいかがわかっているからです。おそらく、『話しかけたら無視される』、『会社を突然クビになる』などのリスクはないはずです。『何かを改善しないといけない』、『自分が変わらないといけなくなる』という、正しい恐怖が必要なのです。それがあるから、人は成長し、変わります。頑張る方向性がわかると、『努力すれば恐怖から回避できる』というように、正しく現実と向き合うようになります。そういった『正しい逃げ道』とセットであることが大事です。そのためには、評価基準を明確にする『仕組み化』が効果的です。
『○○を達成すれば評価します』、『○○に未達だと評価しません』と、『明文化されたこと』について指摘するだけです。逆に、『書いていないこと』で罰を与えたりしてはいけないのです。ルールにないことでは、絶対に厳しく指導しない。つねに責めるのは、『仕組み』のほうです。そうすることで、『明文化されたルール』に価値が生まれます。書いであることの意義が強くなり、守らないといけない意識が高まるのです。
まだまだ『間違った怖さ』でマネジメントされている会社が数多くあります。怒って気持ちよくなる社長や部長。それに慣れて慰め合っている若手社員。ゴマすりで会社に居場所をつくっているベテラン社員……。そういった関係性で働く組織が最悪の状態です。いますぐ(中略)、『責任と権限』を身につけたリーダーが『仕組み化』に手を加えないといけないのです」(126ページ)
安藤さんは、「正しい恐怖が必要」とご説明されておられ、私もその趣旨は正しいと思いますが、事業活動に「恐怖」が必要なのかというと、少し違和感を感じます。そこで、私は、「恐怖」の代わりに、責任感を感じる対象となることがらとか、労力を払う対象となることがらという表現の方が適切なのではないかと思います。話を本題に戻すと、まず、安藤さんは、「ルールに書かれていないことについて指導してはならない」と述べておられます。これは、逆に言えば、「指導することは、ルールに書いておかなければならない」ということです。
これに対して、経営者の方は、「部下にして欲しいことを、都度、ルールにしなければならないのでは手間がかかる」と感じるかもしれません。すなわち、「経営者が考えていることは、ルールにしなくても、部下にはわかって欲しい」と望んでいるということでしょう。事実、黎明期の会社で、役職員の数が10名程度までであれば、阿吽の呼吸でそれができるかもしれません。しかし、徐々に従業員数が多くなっていけば、それは通用しなくなります。
「言葉にしなくても分かって欲しい」という経営者の気持ちも分からなくありませんが、組織の3要素は、共通目的、貢献意欲とコミュニケーションであると言われているように、コミュニケーションを怠ると、うまく組織運営ができなくなると考えなければなりません。したがって、経営者の方は、従業員の方たちの足並みが揃うよう、自分の考えを基にしたルールを明文化して、会社内に周知しなければなりません。
ちなみに、ルールではありませんが、経営者の方の意図を従業員の方に伝える方法として、職務記述書(ジョブディスクリプション)というものがあります。職務記述書とは、定例業務のように、何を仕事として認識すればいいかや、アカウンタビリティ(説明責任)の基準を、ポジションごとにまとめたものです。ただし、私は、経営者の方が職務記述書を書いて部下に渡すだけでよいとは考えていません。
部下の意見も聞きながらお互いの認識を一致させて最終的な職務記述書としたり、6か月、または、1年経って、どれくらい職務記述書に書かれてあることができるようになったかという振り返りのためのツールとしても効果があります。これを繰り返して行けば、経営者の方と従業員の方との認識の齟齬が少なくなったり、従業員の方の士気を向上させたりすることができます。
繰り返しになりますが、部下にして欲しいことを明文化して伝えることは、確かに労力は必要ですが、労力が必要だからというだけでそれを実践しないことは、経営者として十分な役割を果たすことはできないと思っています。そして、労力や時間がかかってでも、従業員の方とのコミュニケーションが闊達になれば、労力をかけた以上の成果が得られると私は考えています。
2025/1/1 No.2940