鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

命令では人の心を動かすことはできない

[要旨]

ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人元社長の新将命さんによれば、会社からマネジャーという肩書をもらったとたん、自分が偉くなったと思い込む人が多い一方で、「人は論理によって説得され、感情によって動く」ので、命令で人の身体を動かすことはできても、人の心を動かすことはできないことから、マネジャーの立場になったら、与えられた権力だけでは不十分であることをまず認識し、権力を支える人間力というプラットフォームを築くことが求められるということです。


[本文]

今回も、前回に引き続き、ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人元社長の新将命さんのご著書、「伝説のプロ経営者が教える30歳からのリーダーの教科書」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、新さんによれば、リーダーとは、管理職という地位に就くことで自動的になれるわけではなく、その人が持つ実力、人間力、権威によって決まるものであることから、真のリーダーになるためには、内面的な魅力を高めるようにしなければならないということについて説明しました。

これに続いて、新さんは、肩書きをもらうと自分が偉くなったと思い込む人がいるので注意が必要ということについて述べておられます。「会社は階級組織だから、組織の定めるポジションには相応の人事権、命令権がついてくる。それが『権力』である。命令権は作業レベルの業務では機能するが、チームを1つの方向にまとめたり、メンバー1人ひとりを鼓舞するような場面では、限りなく無力に近い。命令では人の身体を動かすことはできても、人の心を動かすことはできない。『人は論理によって説得され、感情によって動く』(カーネル・サンダース)からである。

ところが、マネジャーという肩書をもらったとたん、自分が偉くなったと思い込む人が多い。肩書は階級章だから、軍隊由来の組織形態をとる企業では、肩書きに課題なイメージを持たせているせいだろう。立場が人をつくるというのは、一面の事実ではあるものの、マネジャーの地位に就いた瞬間に、『自分はリーダーである』と勘違いする、人間力の劣悪な上司の後ろを、部下が納得してついて行くことはないという、厳しい事実を肝に銘じておくべきである。マネジャーの立場になったら、与えられた権力だけでは不十分であることをまず認識し、権力を支える人間力というプラットフォームを築くことが求められるのだ。

ちなみに、純粋な階級社会でもある軍隊でも、すべてが権力だけで動くわけではない。『義経軍歌』(武道の要諦について、源義経の活躍に仮託して詠まれた室町時代の歌集)には、『大将は人によく声をかけよ』とある。いざというときに兵が動いてくれるか否かは、大将が日頃どれだけ兵をインスパイア(鼓舞)しているかによって決まるのだ。マネジャーとしての地位(ポジション)は会社が決めるものだが、リーダーとしての資格は自分が勝ち得るものである」(30ページ)

日本では、残念なことに、新さんがご指摘しておられるように、「マネジャーという肩書をもらったとたん、自分が偉くなったと思い込む人が多い」ということを私も感じていますが、これは、まず、本人の自覚の問題だと思います。しかし、そのような人を昇進をさせる会社も、論功行賞として人事を行っている面があると思います。ところが、「名選手、名監督にあらず」という言葉もあるように、事業の現場で顕著な実力を発揮できる人が、管理業務でも高い能力を発揮できるとは限りません。

したがって、会社は、将来の幹部候補に対して、マネジメント能力を身に付けさせたり、事業の現場では実力が発揮できていなくても、マネジメント能力の高い従業員を見い出して管理業務を行わせるなどの対応に注力することが求められます。ここで、事業の現場で実力を発揮した人をどのように報いるのかという課題や、そのような人と管理業務を行う人との関係をどうするのかという課題があるのも事実です。

しかし、現在は、商品や製品そのものでの差別化が難しくなっており、組織力で業績の差が出る時代です。そうであれば、マネジメント能力を持つ従業員が多い会社の方が業績が高くなるということに間違いはないと思います。現在の日本では、まだ、過去からの慣行で、事業の現場で実力を発揮した人に管理業務を任せるという制度が残っている会社は多いと思いますが、管理業務を任せる従業員には、しっかりと管理業務を担う能力を身に付けてもらってから任せるという方向に人材方針を変える必要があると、私は考えています。

2024/10/13 No.2860