鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

権限委譲と主権在現はドンキの十八番

[要旨]

ドン・キホーテ創業者の安田隆夫さんによれば、安田さんが同店を多店舗展開をしようとしたとき、一般的には独自性と拡張性は相容れないものの、ドン・キホーテでは、権限委譲によって両者を同時に実現したそうです。ただし、事業の現場に権限委譲をするということは、経営権を手放すということでもあり、安田さんもこれを実行するときには相当逡巡したそうですが、経営の要諦は、独自性と拡張性の両者を実現させることだと考え、権限委譲を行ったそうです。


[本文]

今回も、前回に引き続き、安田隆夫さんのご著書、「運-ドン・キホーテ創業者『最強の遺言』」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、かつて、安田さん多店舗展開をしようとしたとき、安田さんと部下の間では能力に大きな開きがあることから、部下に権限委譲をすることを逡巡したそうですが、権限委譲をしなければ多店舗展開できないことから、中途半端にではなく、腹を括って徹底的に任せたところ、部下たちはちゃんと仕事が出来ただけでなく、安田さんに出来なかったようなことも実践するようになったということについて説明しました。

これに続いて、安田さんは、一般的に独自性と拡張性は相容れないものの、ドン・キホーテでは、権限委譲によって両者を同時に実現したということについて述べておられます。「では(中略)、オンリーワンの競争力を発揮して、拡張性に直結させる具体手法は何かということになる。ズバリその答えは、現場の迅速かつ柔軟な変化対応力に尽きるわけだが、これも後づけの結果論に過ぎない。今だからこそ、この『変化対応』という概念は、流通激変時代の決め手のようなキーワードとして、ポジティブなイメージで捉えられている。

例えば、『流通業は変化対応業であるべき』などと言われる。当社グループにおいて、『変化対応』は根源的DNAとも言え、いわば、社是のようなものである。我々は、『変化が常時』で、正解が固定されていない世界でエンドレスな戦いを繰り広げている。常に目の前の問題を明確に認識し、変化対応して柔軟に解決し続けていくことができない限り、この激変のさなかには一歩たりとて先に進めない。もっとも、当時の経営常識からすれば、そうした『変化対応』は、要は現場に任せっぱなし、やらせっぱなしの、いわば経営権の放棄状態にも等しいとられ方をしていた。

『それでもいいや』と私は腹をっくった。もちろん、さすがにその間、追い詰められて逡巡に逡巡を重ねはしたものの、最後には結局、『えいや』とばかりに経営権という主権も思い切り現場に移したのである。これによる『主権在現』、すなわち『個人商店主システム』による現場への主権の付与こそ、競争力と拡張性という『相並ばない二択』を両立させる、言い換えれば『ORではなくAND』にするための、当社渾身の方策になり、『集団運』のペースになったのである。

ビジネスは二者択一ではなく、常に『こちらも立て、あちらも立てる』という『AND』の発想をしないと成功しない。例えば、異なる調味料を混ぜると味に深みが増すように、料理の世界では『AND』が当たり前だ。経営も同じではないだろうか。実際に実行するのは難しいが、『AND』こそ成功の要諦なのである。恐らく私と同じ境遇に身を置かれたら、多くの経営者が最初の拡張性を優先するだろうし、まして経営権の放棄など絶対にあり得ないと思う。

少し下世話な話になって恐縮だが、少なくとも未上場の中小企業経営者にとって、経営権というのは『俺のカネ』、『俺の生きがい』と同義みたいなものだ。それを放棄するなどという選択肢そのものがそもそもあり得ず、考えの俎上(そじょう)に載ることさえないだろう。だが、私が育てたドン・キホーテは、経営権を放棄しなければ多店舗展開ができないのだ。今でこそ、権限委譲と主権在現は、ドンキの十八番(おはこ)のようなもので、至極当たり前になっているが、当時の私は、まさに『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(捨て身の覚悟があってこそ成就できるの意)』の心境だった。(167ページ)

安田さんは、「権限委譲と主権在現は、ドンキの十八番」と述べておられますが、これが他の小売業がなかなか実現できていないドン・キホーテの強みだと私は考えています。そして、その権限委譲も、「現場への主権の付与こそ、競争力と拡張性という『相並ばない二択』を両立させる、言い換えれば『ORではなくAND』にするための、当社渾身の方策」ということであり、単に権限委譲しただけでは意味がなく、権限委譲された従業員の方たちが、安田さんの分身のようにドン・キホーテの独自性を実現してもらうための手段ということです。(ここで、権限委譲された従業員の方が、どうすれば安田さんの分身のように活動するようになるのかという疑問が出ると思いますが、それについては、これから後に配信する記事で説明します)

さらに、もうひとつのポイントは、安田さんは、「恐らく私と同じ境遇に身を置かれたら、多くの経営者が最初の拡張性を優先するだろうし、まして経営権の放棄など絶対にあり得ないと思う」と述べておられますが、ほとんどの中小企業経営者の方は、権限委譲するという選択肢は持っていないということです。

繰り返しになりますが、「中小企業経営者にとって、経営権というのは『俺のカネ』、『俺の生きがい』と同義」なので、そう考える方にとって、権限委譲をするということは、社長を退任すると同じことを意味するのでしょう。さらに、これは安田さんは述べておられませんが、権限は委譲したにもかかわらず、部下が委譲された権限を行使した結果、それが失敗したとき、その失敗は部下ではなく、経営者がとらなければならないことに変わりはないのです。

すなわち、権限は委譲するけれど、責任は委譲されないという、さらに理不尽な役回りになってしまうのです。だから、多くの中小企業では、社長はなかなか権限委譲をしないのだと思います。私も、それが普通の考え方だと思います。しかし、安田さんは普通の考え方をしなかったことから、会社を発展させたことも事実です。したがって、結論としては、権限委譲をするのかしないのか、すなわち経営者自身が損な役回りを受け入れるのか受け入れないのかを決めるしかないのだと思います。

2024/9/1 No.2818