[要旨]
冨山和彦さんによれば、敗北をしっかりと抱きしめ、それが会社やまわりに与える被害を最小化するために身を呈して最後まで頑張り、最終責任を引き受けるような見事な負けっぷりができる人事は、将来、超有望であるということです。一方で、優等生で地頭もいいが、とにかく上司にこまめに指示を仰ぎ、上司が腹内で持っている正解を探り、そこにかなった答えを用意しようとする、あるいは、組織の空気を一生懸命読んで、その空気に合わせた優等生答案を用意するというタイプは、ミドルマネジメント時代くらいから伸び悩むということです。
[本文]
今回も、前回に引き続き、冨山和彦さんのご著書、「結果を出すリーダーはみな非情である」を読んで、私が気づいたことについて説明したいと思います。前回は、冨山さんによれば、会社の将来のリーダー候補は、自分の頭で考え、自分の判断基準で決め、自分の行動原則に基づいて実行する、すなわち、仕事にコミットする人材であり、逆に、将来のリーダーに適さない人は、ホウレンソウを繰り返し、丁寧に根回しをして、皆の意見を思い切り足して割るような内容のプランをまとめ、責任が曖昧な状態にしてからアクションに移すような人だということについて説明しました。
これに続いて、冨山さんは、失敗してもそれを直視し、自分で責任をとろうとする人は社長に適しているが、逆に、優等生タイプで上司の顔色をうかがう人は、中間管理職までは順調に出世するものの、そこで伸び悩むということについて述べておられます。「コミットして仕事に臨んでも、うまくいかなかった場合、これは自分のところに全責任が被ってくる。ここで戦線を放棄して、終戦処理から逃げたり、負け戦の責任を他人、特に自分の部下に転嫁するやつは、将来のリーダーとして最悪だ。
他責の論理にたけているタイプの人間は、失敗から学ばない。必ず同じ過ちを繰り返す。おまけに、そのたび、周囲の信頼を失い、影響力も失っていく。負け戦の被害を最小化するために、往生際悪く、ぎりぎりの抵抗戦で粘ることは大いに結構だが、これがえてして他人に責任を転嫁する変な政治的な粘り腰に転化する人も少なくない。しかし、まわりはよく見ているもので、この手の誤魔化しは、結局、多くの人からの信用を失う結果となる。
とにかく、敗北をしっかりと抱きしめ、それが会社やまわりに与える被害を最小化するために身を呈して最後まで頑張り、最終責任を引き受けるような見事な負けっぷりができる人事は、将来、超有望である。私が今まで見てきた後輩たちで、積極的にコミットしたり、かつ、負けっぷりのいいタイプの多くは、長期的にリーダーとして大きく成長している。一方で、ミドルマネジメント時代くらいから伸び悩むのが、この逆のタイプだ。優等生で地頭もいいが、とにかく上司にこまめに指示を仰ぎ、上司が腹内で持っている正解を探り、そこにかなった答えを用意しようとする。あるいは、組織の空気を一生懸命読んで、その空気に合わせた優等生答案を用意する。
この手の秀才タイプは、ラインマネージャーくらいまではそこそこ順調に来るが、ミドルマネジメントあがりから伸び悩み、トップリーダーとしての資質を問われるころにはぴたりと成長が止まってしまう。私自身、そういうお勉強秀才が近くに数多くいる場所で働く機会が少なくないが、そういう元秀才が、40歳前後くらいから輝きを失っていくのを何度も目撃した。裏返せば、学生時代、お勉強では必ずしも優等生ではなかった諸君にも、十分に、いや、ほぼ確実に、勉強では絶対にかなわなかったあの同級生を逆転するチャンスが訪れるのである」(238ページ)
この冨山さんのご指摘に疑問を持つ人はいないと思うのですが、今なお、部下に責任転嫁する上司は珍しくないのではないでしょうか?さらに、私が問題だと思うのは、「上司にこまめに指示を仰ぎ、上司が腹内で持っている正解を探り、そこにかなった答えを用意しようとする」人が圧倒的に多いということです。このような「優等生」が多いのは、第一義的には本人の考え方の問題だと思うのですが、会社や上司がそのような人を評価することも、そのような「優等生」がいなくならない原因だと思います。もし、社長自身がそのようなことをしていたら、社長の周りには「優等生」ばかりになり、もし、会社がピンチに陥ったというときは、実際に役に立たない人ばかりが重役で固められていたということになりかねません。
よく、大企業の不祥事で、トップの役員が、「なかなか現場の声が私のところまで届いてこなかったことを反省する」というような、半分以上、部下に責任があると言いたげな言い訳をすることがありますが、私は、そういう人は、部下が悪い情報を伝えようとすると、ものすごく嫌そうな顔をしているのではないかと想像しています。繰り返しになりますが、上司を慮って仕事をしようとする部下は、その部下に問題がありますが、一方で、それは上司が望んでいることが部下に伝わっていることの表れでもあると、私は考えています。
2024/8/13 No.2799