鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

職場のお茶出しは必要か

[要旨]

習慣として職場でのお茶出しが行われていることがありますが、現在は、お茶出しは形式的なものになりつつあります。したがって、習慣であっても、現状にそぐわないと思われるものに対しては、果敢に変えていこうとする姿勢で臨むことによって、職場の環境が改善され、ひいては、業績の改善にもつながるでしょう。


[本文]

税理士の井ノ上陽一さんのメールマガジンを読みました。井ノ上さんが総務省の職員だったとき、その職場には、女性の職員の方が、朝と3時にお茶を淹れて職場の職員に出すという、いわゆる「男社会」の習慣があったそうです。これに対し、井ノ上さんは疑問を感じ、お茶出しの廃止を提案し、やめてもらったそうです。私は、そのような習慣が、100%間違っているとは思いませんが、井ノ上さんの考え方に賛成です。

特に、私がよく目にするのは、何らかの用件があって訪問した会社で、そこには最低限の人数の従業員さんしかいないため、面談する相手の男性の課長さんが、自らお茶を淹れて私に出してくれるというような場面ですが、そのようなことをしてもらったときは、とても恐縮してしまいます。そして、お茶を淹れてくださるお気持ちはありがたいものの、正直、お茶そのものはそれほど飲みたいとは思っていません。というのも、かつての時代とは異なり、いまは、あちこちにあるコンビニエンスストアに行けば、100円を出すだけで、淹れたてのレギュラーコーヒーが飲めるので、ビジネスの場では、お茶を飲むことをそれほどありがたいとは感じない時代になっているからです。

でも、今でもお茶を出してくれる会社があるのは、昔からの習慣で、訪問客にはお茶をださなければ…という考え方が残っているからなのでしょう。でも、最近は、昔から続いている習慣を辞める例もあると感じています。例えば、年賀状を出すことを辞めたり、お中元やお歳暮のやり取りも減っているようです。私は、年賀状や、お中元・お歳暮を否定するつもりはないのですが、時代背景が変わる中で、重要性が低くなって来ていることも事実だと思います。

では、今回は、何をお伝えしたいのかというと、時代が変わって意味が薄れたと感じられる習慣は、単に、「習慣だから…」という理由だけで続けずに、廃止する判断をすべきということです。このように書くと、廃止することを目的とする主張に受け止められてしまいますが、必要な習慣は止める必要はありません。大切なことは、続けるとも、止めるとも、どちらの判断もせずに、単に、習慣を続けてしまうことです。

最近、よい例だと感じたことは、昨年10月の臨時国会所信表明演説で、内閣総理大臣が、「行政への申請などにおける押印は、テレワークの妨げともなることから、原則全て廃止する」と発言したことです。押印にまったく意味がないとは思いませんが、私も、形式的な押印はしない方がよいと思います。もちろん、押印を廃止しさえすれば、すべての問題が解決するということでもありません。ただ、現状に流されることなく、よりよい方向に向けて現状を変えてみようと果敢に決断をする総理大臣の決断は、特に、厳しい経営環境にある会社の経営者の方にとっも、参考になる姿勢だと思います。

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