[要旨]
広島県の小学校で、児童の自主性を尊重する方針を打ち出しましたが、それにともない、教諭の方たちが、校則の本当の目的を考え直すようになりました。校則の本当の目的は、集団生活を維持することではなく、児童の個性を伸ばすことであり、そのためには、校則では細かいことを決めるよりも、原則的なものを示し、実際の行動は児童自身に決めさせることが大切です。
[本文]
11月16日の日本放送協会さんのニュース番組で、広島県福山市の久松台小学校について報道していました。久松台小学校は、今年から、児童の自主性を尊重することにしたそうです。そのため、運動会で、徒競走と障害物競争のどちらに出場するかを、児童自身に決めさせたり、制服ではなく私服で通学するときも、児童自身の判断で私服で通学することを可能とし、事前の許可を不要にしました。
また、宿題も、児童自身にスケジュールを組ませるなど、多くのことを児童に任せるようになったそうです。これは、校長が、現代社会は複雑化しているので、自分で判断する能力が求められるようになっているという観点から、教育方針を変えたそうです。この校長先生の判断は、とてもすばらしいと思います。
ところで、私が注目したことは、教諭の方たちの変化でした。というのは、昨年までの校則では、文房具は、鉛筆5本、赤青鉛筆1本、消しゴム1つだけしか、学校へ持ってくることが認められませんでした。校則が変わったいまは、持ち物に名前を書くという校則しかなく、どのような文房具も持ってくることができ、また、昨年まで禁止されていた、シャープペンシルも持ってくることができるそうです。
このような校則の変更について、教諭の人たちは、これまでは、児童たちがそろって行動することに、校則の大きな比重が置かれていたけれど、これからは、児童たちの個性を伸ばすための校則でなければならないと感じていると、学校の本来の目的に目が向くようになったことです。これは、部外者から見れば当然のように感じることなのですが、当事者にはなかなか気づきにくいことだと、私も、感じています。
このように、当事者がおかしな規則に気づきにくいことの原因のひとつは、「規則にしたがっていればよい」と考えることの方が、簡単で楽だからだと思います。でも、規則が大まかな方針だけを示すものに留まり、具体的にどう行動するかは、その場で自分で判断することになると、その方が、行動することが難しくなります。でも、後者の方が、成果は大きいものになることは言うまでもありません。
例えば、リッツカールトンが導入していることで有名になった「クレド」は、ホテルの基本的な価値観が書かれているだけで、それをもとに、どう行動するかは、スタッフに任されています。このような、原則主義でスタッフが行動することで生み出される、リッツカールトンのサービスのすばらしさは、多くの方に評価されています。(ちなみに、原則主義とは逆に、規則が細かく決められ、規則通りに行動することが求められることを、細則主義といいます)
したがって、組織の成果を高めようとするには、原則主義で活動できるようにすることが、ひとつの方法ですが、とはいえ、そのような組織づくりは、一朝一夕にはいかないことも事実です。でも、現在は、それを実現できるかどうかに、経営者の能力が求められていると、私は考えています。