鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

権威が無力になっていく時代

4月27日の日本銀行金融政策決定会合で、年間80兆円としていた国債の購入額の枠をなくすことなどを含めた、追加緩和を行うことが決定されました。(ご参考→ https://bit.ly/3eWP8P9 )とはいえ、「だからなに?」と感じる人も多いのではないでしょうか?それも当然で、日本銀行が持つ国債の残高は、1年間で15兆円しか増えておらず、年間増加額が80兆円を超えそうになっているわけでもないのに、「上限をなくす」ということに、それほど大きな意味はないでしょう。

これは、逆を言えば、それくらい金融政策は打つ手がなくなっており、口先だけのことしかやることがなくなっているということの表れと言えるでしょう。もし、そうでなければ、日本銀行が目標としてきた、インフレ率の目標の2%は、すでに達成されているはずです。すなわち、現在の日本において、金融政策は、もう、効果を期待できなくなってきているということでしょう。

これと同様に、金融庁の金融行政も、従来よりも一歩引いたものになっています。昨年12月に、金融検査マニュアルを廃止したことも、その表れのひとつです。そうなった背景は、金融機関の在り方については、最早、行政当局では指導できず、金融機関が現場で得ている情報に基づいて自らを律し、それを金融庁が追認するしかなくなっているからだと思います。

話がそれますが、そのことを金融庁が認識せざるを得なくなったのは、スルガ銀行の不正融資を見抜くことができなったことが大きいと思います。ここまでの内容は、日本銀行金融庁への批判ですが、今回の記事の主旨は、両者を批判することではありません。現在のような、経済活動が複雑な時代は、監督する立場よりも、事業の現場にいる立場の人たちの方が、有益な情報を得られる時代になっているのだと思われます。

現在、新型コロナウイルス感染症の影響を受けた会社に対して、金融庁が働きかけるまでもなく、多くの金融機関は、審査期間を短縮したりするなど、自発的に独自の対応をしています。また、商業施設のテナントに対して、賃料の支払いを免除したり猶予したりするという支援も、行政当局からの要請によるものではなく、商業施設が独自の判断で始めています。このような例を見ると、日本の民間会社には、企業市民としての考えが深く定着しているということが分かり、かつ、その分だけ、行政の出番は少なくなっているのだと思います。

たまたまですが、先日、弁護士の鳥飼重和さんが、鳥飼さん自身のポッドキャスト番組で、戦国武将の織田信長についてお話しておられました。(ご参考→ https://bit.ly/2Sb5BVZ )すなわち、時代の変わり目は、小さな国の武将だった織田信長が、大きな国の武将の今川義元を倒すことができる。そして、現在も、伝統のある大きな会社が、新興の小さな会社がなくては事業活動ができない時代になっている。すなわち、会社同士の付き合いは、歴史や規模が関係なくなりつつあるということを指摘しておられます。このことは、現在は、規模が小さくても、大きな会社と伍して戦える時代であるということの表れであり、これから起業したいと考えている方にとっても、大いに勇気づけられる状況になっていると、私は考えています。

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