鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

売れる値段とはマーケットが認める価値

[要旨]

稲盛和夫さんによれば、京セラでは、原価+利益=売値という、原価主義は採らないことにしているそうです。売値を原価+利益より高くした場合、暴利を得ることになるという批判がありますが、顧客が喜んで購入する価格、すなわち、市場が認める価値で販売する場合、その批判はあたらないと考えているそうです。


[本文]

今回も、前回に引き続き、稲盛和夫さんのご著書、「京セラフィロソフィー」を拝読して、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、稲盛さんは、値決めをする時は、自社製品の市場価格を勘案しなければならないので、売価還元方式で原価を求めなければならないと述べておられますが、これは、単に、市場価格に合わせて売値を決めればよいというだけではなく、その売値で利益を得られるような原価を実現しなければならないということを説明しました。

これに続いて、稲盛さんは、製品の価値は原価を基準に決めるのではなく、価値を基準にして決めるべきであるということを説明しておられます。「私は、だいぶ昔から、『原価+利益=売値』という、原価主義は採らないと言い続けてきました。京セラの社員に対しても、私は、次のように話していました。京セラは、原価主義で販売価格を決めるようなことはしない。京セラは、販売する品物の価値で売る。例えば、京セラが納入する絶縁材料を使って、お客様が、ある真空管をつくり、それが1本200円で売れた。

お客様は、京セラの絶縁材料を20円で買っているけれそも、真空管は200円で売れるから、非常にもうかると喜んでおられる。たとえ、その絶縁材料の原価が5円だとしても、真空管を構成する部品として重要な絶縁材料であり、十分、利益も取れ、お客様が『20円なら喜んで買おう』と言ってくれるのであれば、『5円のものを20円で売るなんて、暴利じゃないのか』と言う人もあるかもしれないが、それでいいではないか。(中略)お客様がその価値を認めてお金を支払ってくれるということは、お客様がもそれによって利益を受けているわけですから、暴利でも何でもないのです。

逆に、こちらが、原価に200円かかったから、40円の利益を乗せて、240円で売ろうと思っても、お客様から、『240円では、到底、買えません。50円なら買ってもいい』と言われれば、その商品には50円の価値しかないわけです。50円の価値しかないものを、200円もかけてつくった訳ですから、それは技術屋の失敗です。『原価がいくらだから、売値はこうなります』といくら言ってみたって、そのような話しはあいてに通用しません。つまり、売れる値段とは、マーケットが認めてくれる製品の価値で決まってくるのです」(463ページ)

今回は、前回の逆で、原価+利益<市場価格であった場合は、原価+利益を売値とすべきではなく、市場価格を売値とすべきと稲盛さんは述べておられます。売値は市場価格を勘案して決めなければならない訳ですが、その市場価格は、必ずしも、原価+利益より低いとは限りません。したがって、原価+利益<市場価格のときに、売値=原価+利益としてしまえば、収益機会を逃すことになってしまうということは避けるべきでしょう。ところが、稲盛さんがこのような指摘をしておられるのは、売値>原価+利益とすることに抵抗を感じる人が多いからだと思います。

このような考え方は、マーケティングコンセプトが、生産志向、製品志向の時代は適していると言えます。しかし、現在は、顧客志向、マーケティング志向の時代なので、稲盛さんもご指摘しておられるように、「売れる値段とは、マーケットが認めてくれる製品の価値で決まってくる」と考えなければなりません。これを言い換えれば、売値は原価+利益から決めるということは、市場を見ていないということです。きちんと市場を見ていれば、原価+利益が市場価格と比較して安いのか、それとも、高いのかが分かり、不適切な値決めをすることを避けることができるようになるでしょう。

2023/11/14 No.2526

 

売価還元方式で原価を求める

[要旨]

稲盛和夫さんは、値決めをする時には、自社製品の市場価格を勘案しなければならないので、「売価還元方式で原価を求める」ことをしなければならないと述べておられます。これは、単に、市場価格に合わせて売値を決めればよいというだけではなく、その売値で利益を得られるような原価を実現しなければならないということです。したがって、自社製品の価格競争が激しい場合は、厳格な原価管理を行い、原価を下げるための対策を講じることが重要です。


[本文]

今回も、前回に引き続き、稲盛和夫さんのご著書、「京セラフィロソフィー」を拝読して、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、稲盛さんによれば、ヤクルトは、販売員に、「ヤクルトは国民の健康を提供する」と教え、さらに、ルートセールスによって、製品の価値を説明して販売したことから、顧客にそれを納得してもらった上で、高い価格で製品を販売できたと分析していると説明しました。これに続いて、稲盛さんは、製品の原価は売価還元方式で決めなければならないと述べておられます。

「商品には、必ず、原価というものがあります。一般には、その原価プラス利益で売価が決められており、資本主義社会においては、それが正しいと言われています。しかし、私がここで言っているのはそうではありません。(中略)『売価還元方式で原価を求める』ということ、つまり、『まず売値ありき』ということなのです。これだけ競争の激しい昨今では、原価がいくらで、いくらの利益が欲しいからと、単に、『原価+利益』という積み上げ式で、売値を算出するというやり方は通用しません。売値は先に決まっていて、後は、それで利益が取れるように原価を合わせていくということをやっていかなければならないのです。

これが、現在の市場経済の実態となっているにもかかわらず、資本主義社会における会計学では、ほとんどが先の『原価主義』のままです。(中略)ところが、それで売れなくなってくると、値段を下げて売らなければなりません。そうなれば、利益など、すぐに吹っ飛んでしまうのです。ですから、『まず売値ありき』であって、その売値に合わせるためにはどうやって原価を下げるかということを考えるのが経営なのです。その売値も、設定が安過ぎては、いくら苦労しても利益は出ませんから、『市場で通用する最高の値段』を設定しなければならない、ということが肝心なところです」(461ページ)

付加価値を高めることで、売値も高くすることは可能であっても、やはり、市場価格の影響は避けることができません。ですから、稲盛さんのご指摘するように、「売価還元方式で原価を求める」という考え方で値決めをしなければなりません。ただ、このことについては、ほとんどの方が、当然と考えると思いますが、私は、誤って理解している方も少なくないと感じています。というのは、稲盛さんは「原価を求める」と述べておられるのであり、「売値を求める」と述べておられるのではありません。

そして、「市場価格はこれくらいだから、自社の製品も同様の価格か、それより少し低いくらいの価格でしか顧客から買ってもらうことができない」と考えている方は、売値だけを決め、それで終わってしまいます。そうなると、利益額が僅かになるか、または、赤字になってしまいます。一方、稲盛さんは、「売価還元方式で原価を求める」と述べておられるわけですから、自社製品が市場価格でしか売れないとしたら、それで利益が確保できる原価で製造しなければならないわけですが、「原価を求める」会社は、あまり多くないようです。

そうなってしまう要因は、1つだけではないと思いますが、最大の要因は、原価計算を行っていないからだと思います。もう少しありていに述べれば、原価計算をしていな会社の経営者の方は、恐らく会計に明るくないので、売値だけは他社との比較で決められるものの、その売値で利益を得られるための原価はどれくらいにすればよいのか、また、利益を得られる原価を実現するためには何をすればよいのかを分析することができないためだと思います。

もし、自社製品が高い利益率を得られる製品であれば、原価計算は厳密に行わなくても利益を得られるますが、それとは逆に、価格競争をせざるを得ない製品であれば、原価管理を厳密に行わなければならないということは、言うまでもありません。価格競争で利益が出ない会社の多くは、競争が厳しいというよりも、原価管理ができるかどうかに原因があると、私は感じています。

2023/11/13 No.2525

 

『国民の健康を提供』という大義名分

[要旨]

稲盛和夫さんは、ヤクルトは、販売員に、「ヤクルトは国民の健康を提供する」と教え、さらに、ルートセールスによって、製品の価値を説明して販売したことから、顧客にそれを納得してもらった上で、高い価格で製品を販売できたと分析しているようです。また、このことによって、従業員は安定した給与を受け取ることができ、会社も発展してきたと考えているそうです。


[本文]

今回も、前回に引き続き、稲盛和夫さんのご著書、「京セラフィロソフィー」を拝読して、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、稲盛さんによれば、コカ・コーラは、高価格で販売されていますが、そのことによって得られた利潤を、販売促進費にあてることにより、利益を最大化していると分析しておられ、この事例から、値決めは決して安ければ良いというわけではないということについて説明しました。これに続いて、稲盛さんは、ヤクルトの値決めについてご説明しておられます。

「カルピスは、昔から大きな瓶に入って売られていて、夏になると、おふくろが、よく、水で薄めて飲ませてくれたものでした。あのカルピスの味と、ヤクルトの味は、あまり変わらない感じがします。また、ヤクルトの方が、小さなプラスチックの容器に入っています。それなのに、ヤクルトの方が非常に値段が高い。ヤクルトが出た頃も、私は、『あんなのは駄目だ』と思いました。すでにカルピスもあって、そちらの方が安上がりだし、しかも、ちゃんと整腸作用もある。どうしてあんなに小さい容器に入ったヤクルトの方が高いのだろうと、不思議に思っいたわけです。

ところが、ヤクルトは、日本全国津々浦々まで普及していき、会社もすばらしい発展を遂げていきました。日本だけに留まらず、ブラジルや東南アジアなどの諸外国でも成功しています。ヤクルトは、『ヤクルトレディ』と呼ばれる販売員が全国にいて、彼女たちがヤクルトの入ったカートを押して売っています。ヤクルトは、単価が高いから、粗利が大きい。だから、たくさんの給金を渡すことができる。彼女たちも、これなら十分な収入になると熱心に売って歩くわけです。

彼女たちは、まず、会社で研修を受け、そこで、『これは、ただ単に、清涼飲料を売るという仕事ではありません。私たちは、健康を売っているのです。これを毎朝1本飲むだけで身体にいい。国民の健康はヤクルトが提供します』と教えられるそうです。つまり、これは健康産業であり、だからヤクルトを売るのです、という大義名分まで理解してもらうそうです。ヤクルトの値決めには、こうした理由があるのです」(459ページ)

単なる清涼飲料水であれば、小売店の店頭や自動販売機で売ればよいわけですが、ヤクルトは、製品の機能が高いことから、ヤクルトレディがルートセールスを行い、その価値を、直接、顧客に説明していった結果、高価格で販売できるようになったと考えられます。さらに、「国民の健康はヤクルトが提供する」というスローガンを掲げることによって、ヤクルトが売っているものは、単なる飲みものではなく、「健康」というベネフィットであるということを、ヤクルトレディも認識し、それが販売活動でのモラールを向上させたことも、成功の要因と考えられます。

このように、ベネフィットを顧客に評価してもらうことができれば、製品の付加価値も高くすることができる、すなわち、売値を高くすることができます。ヤクルトは、日本の数少ない長寿商品ですが、それは、前述したように、ベネフィットを提供するという方針を明確にして事業活動を行ってきたことが、その大きな要因でしょう。また、繰り返しになりますが、そのことが、稲盛さんが重視しているように、高い価格で納得して製品を顧客に購入してもらうことができ、そのことによって会社を発展させてきたと、よい事例なのでしょう。

2023/11/12 No.2524

 

コカ・コーラは高値で成功

[要旨]

稲盛和夫さんによれば、コカ・コーラは、高価格で販売されていますが、そのことによって得られた利潤を、販売促進費にあてることにより、利益を最大化していると分析しておられます。そして、この事例から、値決めは決して安ければ良いというわけではないと言えるとご説明しておられます。


[本文]

今回も、前回に引き続き、稲盛和夫さんのご著書、「京セラフィロソフィー」を拝読して、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、稲盛さんは、役員に登用する従業員には、「商才」を求めるそうですが、その商才とは、最大の成果をもたらす値決めができる能力を指し、その値決めは、単に、製品の価格を決めるだけではなく、製品のスペック、販売場所、販売方法などを総合的に勘案して決めなければならないものであるということを説明しました。これに続いて、稲盛さんは、「値決め」の事例のひとつとして、コカ・コーラの値決めについてご説明しておられます。

「昔、夏祭りなどで、こんな光景を目にしたものです。夜店に大きな氷が置いてあって、その上にコカ・コーラの瓶がいっぱい積み上げられており、若くて元気いっぱいの男性が、『コーラはいかがですか』と言いながら、冷えたコーラを売っている。このように、夜店の人が一生懸命に声をからして売っても、なお、割が合う。ということからだけでも、多額の販売マージンがもらえたのだろうと想像できます。高い値段で売るわけですから、利潤は大きくなります。その利潤の大半を販売促進費に回し、宣伝広告などにも膨大な資金が使えるようにする。

逆に、薄利で売られたラムネやサイダーは、コカ・コーラに匹敵するような宣伝広告もできず、販売インセンティブも捻出できない。そのため、結局、市場から蹴散らされてしまったわけです。つまり、コカ・コーラの戦略は、高い売値ではあるけれども、そこから得られる利益を、販売促進に振り向けていくというもので、これが功を奏したと考えられます。そういう意味では、値決めとは、高いから悪い、安いから良いという、単純なものではなく、どういう戦略に基づくか、そこにポイントがあるのだろうと思います」(458ページ)

この、コカ・コーラのような価格政策はよく知られていますが、中小企業にとっては難易度が高いようです。というのは、小売店インセンティブを与えるとはいえ、製品自体の品質が高くなければ、高い価格で販売することは合理的ではなくなるからです。すなわち、製品のブランドを確立しなければならないわけですが、そのためには、労力や時間を要することが一般的です。

しかし、中小企業であっても、ブランドを確立し、高価格の製品の販売に成功している事例は珍しくありません。したがって、開業当初は価格の低い製品を販売しつつ、会社の体力がついてきたところで、高価格の製品の販売を行うという方法もあると思います。また、稲盛さんは、「値決めとは、高いから悪い、安いから良いという、単純なものではない」と述べておられるように、必ずしも、「赤字にならないギリギリの価格を見極めることが、経営者の能力である」と考えているわけではないということにも注意が必要です。

2023/11/11 No.2523

 

値決めは経営者の才覚次第

[要旨]

稲盛和夫さんは、役員に登用する従業員には、「商才」を求めるそうですが、その商才とは、最大の成果をもたらす値決めができる能力を指すそうです。そして、その値決めは、単に、製品の価格を決めるだけではなく、製品のスペック、販売場所、販売方法などを総合的に勘案して決めなければならないそうです。


[本文]

今回も、前回に引き続き、稲盛和夫さんのご著書、「京セラフィロソフィー」を拝読して、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、稲盛さんは、日本の中小企業経営者は従業員の何十倍も働いており、また、重い責任を持っているにもかかわらず、所得税の税率が高いことから、従業員の10倍程度の報酬しかもらわない人が多い一方で、「ガラス張りの経営」も実践しなければならないために、交際費なども自由に使うことができず、割に合わない役割だと考えているということを説明しました。

これに続いて、稲盛さんは、稲盛さんの考える、「値決めは経営」について、夜鳴きうどんの屋台を例にして、ご説明しておられます。「うどんの原材料だけでもいろいろな選択肢があり、うどん1杯といっても、経営する人によって、原価というものが違ってくる。製麺所でうどん玉を買うと、安いところだと、20~30円くらいのものだろう。それを、つくっておいた、おいしい出汁に入れ、ネギを刻み、蒲鉾も薄く切って載せる。

その蒲鉾だって、厚く切って1枚載せるよりも、薄く切ったものを3枚広げた方が見栄えもするだろうとか、いろいろ工夫できる。そうして、苦労して、安い材料を仕入れれば、原価は100円もしないだろう。そこで、売値をいくらにするのかという、値決めに入るわけです。原価が100円として、それを200円で売ろうが、300円で売ろうが、それは勝手だ。しかし、『どの値段なら一番経営がうまくいくのか』ということを考えなければならない。さらに、その夜鳴きうどんの屋台を引っ張って、どこを歩くか、これも自由です。売れないところを何時間もかけて歩いても売れやしない。

スナックやバーなどが集まっているところなら、夜、酔っぱらいが食べに来てくれるだろうと、繁華街の外れで待ち構える人もいるかもしれない。いや、繁華街に行くまでに学生街を回り、夜、勉強している学生に素うどんを安く売って、ひと稼ぎしてくる人もいるだろう。あるいは、繁華街の女性や酔っぱらいが食べに来るのは、夜もせいぜい11時過ぎてからだろうと、11時以降にようやく屋台を引っ張り始める、要領のいい人もいるかもしれない。このように、どの時間帯に、どこで何を売り歩くか、これもその人の才覚次第だ。それ次第で値決めも変わる。

学生街で安く売ろうと考える人は、100円でつくって200円で売り、薄利多売で勝負しようとするかもしれない。あるいは、非常においしいうどんをつくって高い値段をつけ、数はうれなくても利幅を多く取ろうという人もいるだろう。つまり、すべて『値決め』なのであり、これが経営を左右するわけだ。3か月なら3か月間と決めて、その間に夜鳴きうどんを売って大きな利益を出す。そういう人が商才の持ち主だと言えるのであって、京セラではそのように値決めができ、確実に利益の取れる人を役員に登用する、私はこのように(従業員の方たちに)言ったのです」(454ページ)

値決め、すなわち価格政策は、マッカーシーが提唱した、マーケティングミックスの、4Pのうちのひとつの、Priceです。ちなみに、4Pは、Price(価格)のほかに、Product(製品)、Place(流通経路)、Promotion(販売促進)について、各々、どのような戦術を使うかを選択し、これらを適切に組み合わせて、効果の高いマーケティングを実践することを狙うものです。稲盛さんは、「値決めは経営」と述べ、値決めだけを言葉に出していますが、その値決めは、どのようなうどんにするか(製品)、どこで売るか(流通経路)、どのような顧客を標的にするか(販売促進)によって左右されると考えておられることから、最終的には、マーケティングミックスのことを指していると考えることができます。

したがって、「値決めは経営」とは、単に、経営者は値決めだけをすればよいということを意味しているわけではないようです。さらに、稲盛さんは、役員に登用する人に、適切な4Pを構築できる「商才」を求めています。私も、経営者には、よい製品を作ったり、販売促進活動が上手だったりという、個別の活動が得意であるだけではなく、4Pの観点から、総合的に適切な判断ができなければならないと考えています。すなわち、それはバランス感覚ということになると思いますが、そのバランス感覚こそ「商才」と言えるのかもしれません。

2023/11/10 No.2522

 

日本の中小企業経営者は割に合わない

[要旨]

稲盛和夫さんは、日本の中小企業経営者は従業員の何十倍も働いており、また、重い責任を持っているにもかかわらず、所得税の税率が高いことから、従業員の10倍程度の報酬しかもらわない人が多いと考えているそうです。また、「ガラス張りの経営」も実践しなければならないために、交際費なども自由に使うことができず、割に合わないと感じているそうです。


[本文]

今回も、前回に引き続き、稲盛和夫さんのご著書、「京セラフィロソフィー」を拝読して、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、京セラでは、財務情報を社内で公開し、経営者が利益を独占していないこと、経営者が交際費を使って公私混同をしていないことが分かるようにしたそうですが、こうすることで、経営者は後ろめたさはなくなり、勇気をもって経営にあたることができるようになるということを説明しました。これに続いて、稲盛さんは、ガラス張りの経営は実践しなければならないものの、それは、経営者にとっては割に合わないことでもあるということを述べておられます。

「このようにして、何の後ろめたさもなく、全力で仕事に取り組むために、私はガラス張りの経営をしてきました。そのような公明正大な経営をすると、経営者というのは、一番割に合いません。株式会社や有限会社の場合は、有限責任のはずですが、日本の金融制度のもとでは、銀行からお金を借りる場合でも、『社長であるあなたの個人保証が必要です』と言われ、家屋敷を担保に入れてでも保証しなければならない、ということになります。一つ間違うと、会社がつぶれるだけでなく、自分が担保に入れた家屋敷まで金融機関に取られてしまうということにもなりかねません。

そういうリスクを背負っていながら、公明正大な経営をしていると、決められた給与以外には収入がなく、役得などは一切ありません。つまり、責任は山ほど重いのに、従業員からは、『社長は自分たちの知らないところでいい思いをしているのでは』と勘繰られながら、日々の仕事を行っているわけです。しかも、日本の税制は、税率も非常に高く、まるで懲罰的な、高額な税金を取られています。私は、せめて、社長はこれだけの責任を持ち、これだけの仕事をしているのだから、一般従業員の10倍の給与をいただきますといううことを、従業員に言ってもいいとさえ思います。

仮に、大学新卒の初任給が20万円だとすると、その10倍で200万円になります。しかし、500人の従業員を抱えている会社の社長が、新卒社員の10人分くらいの仕事しかしていないかというと、そんなものではないはずです。恐らく、20人分、30人分の仕事をしているはずですから、400万円や600万円の月給をもらってもいいはずです。もし、月給が1.000万円だとすると、単純計算で、年俸1憶2,000万円になりますが、それくらいもらっている経営者は、アメリカの中堅企業には、ザラにいます。

ところが日本では、年俸が5,000万円を超えると、以前は、75%も80%も税金に持って行かれました。だから、日本の経営者は、『公明正大できれいな経営をして、高い給与を取っても、どうせ税金にもっていかれるから』と、新卒社員の数倍にしかならない少ない給与で辛抱してきました。(中略)ガラス張りの経営はしなければいけませんが、そう努めれば努めるほど、経営者は、一番、分の悪い立場に置かれるわけです。(中略)いずれにせよ、給与一つとってみても、日本の経営者というのは非常に立派で、自分の欲のためではなく、その犠牲的な精神で社会的な正義を守っているのです」(432ページ)

私も、中小企業の事業改善のお手伝いをしている中で、稲盛さんと同じことを感じています。オーナー会社であっても、経営者は、求められる能力や、求められる責任は、とても大きなものがあります。そうであるにもかかわらず、ガラス張りの経営を実践することによって、従業員の10倍程度までしか役員報酬を受け取ることはできず、また、役得もありません。こう考えると、経営者になりたいと考える方は、いなくなってしまうのではないかと思います。

しかし、稲盛さんでさえ、中小企業経営者は、日本の今の制度においては、割の合わない条件に耐えなければならないと述べておられます。これは、米国と日本では、平等に関する考え方が異なるからなのでしょう。米国では機会平等が浸透していますが、日本では、結果平等の比重が大きいのだと思います。そこで、稲盛さんは、日本の中小企業経営者は、割に合わない状況であっても、会社経営に懸命に取り組んでいる存在であり、もっと尊敬されるべき存在だと称賛しておられます。私も、稲盛さんと同じように考えており、中小企業経営者の方たちは、常に尊敬すべき方たちだと思っています。

2023/11/9 No.2521

 

ガラス張り経営は経営者の勇気を強める

[要旨]

京セラでは、財務情報を社内で公開し、経営者が利益を独占していないこと、経営者が交際費を使って公私混同をしていないことが分かるようにしています。こうすることで、経営者は後ろめたさはなくなり、勇気をもって経営にあたることができるようになり、リーダーシップが高まります。


[本文]

京セラ創業者の稲盛和夫さんのご著書、「京セラフィロソフィー」を拝読しました。同書で、稲盛さんは、京セラを「ガラス張りで経営する」ことにした理由について述べておられます。「私が、『ガラス張りで経営する』ということを始めたのには、理由があります。それは、会社の内容を全員に公開して、自分たちのアメーバ(会社の中の独立採算で運営する小集団)の利益はいくらで、その内容はどうなっているのかを、知ってもらうためです。

そのために、1時間当たりどれだけの付加価値を生んだかという指数、つまり、『時間当たり』という数字を社内で公開しています。なぜなら、とかく従業員は、『経営者はわらわれ従業員をこき使って、何かいい目を見ているのではないか、また、利益を独り占めしているのではないか』というふうに思いがちですから、そのような偏見を取り除きたかったのです。当社では、交際費も予算で認められているわけではなく、どうしても交際費が必要なときは、その都度申請をしなければなりません。社長といえども、こういう所用で接待費が要るので、稟議書をで認めて欲しい、という稟議申請が必要です。

交際費そのものも一円単位まで開示し、会社は非常に透明な状態で経営されています。えてして経営者には、交際費など、本当は少しくらい自由になった方が経営もしやすい、という思いがあります。しかし、そういう思いが少しでもあると、経営者としての迫力がなくなるのです。つまり、従業員に対する後ろめたさというものが、自分の心の中に少しでもあるために、迫力がなくなります。経営には、リーダーが持つリーダーシップが非常に大事ですが、そのためには、リーダー自身に、『自分はいつも公明正大だ』と言えるだけの迫力が要ります。

『会社は、インチキなこと、不正なことはしていません。私も、決まった給料で生活しています』と言い切れるところに迫力は生じるし、その公明正大さが、経営者自身を強め、経営者としての勇気をわき立たせるのです。私は、勇気のない経営者が、一番つまらないと思います。その勇気のもとは、『いかに公明正大な仕事をしているか』ということです。一般的には、経営者として自由になるお金が少しくらいあってもいいではないか、また、自分は経営のためにこれだけ苦労しているのだから、少しはいい目にあってもいいではないかと、ついつい、思いがちです。しかし、私は、それで失う勇気、迫力に比べれば、後ろめたさがなく、従業員をグイグイと引っ張っていく迫力、自信、勇気といったものを持つ方が、はるかに得策だと思います」(430ページ)

稲盛さんは、利益を経営者が独占していないこと、交際費などで公私混同をしていないことを実践し、それをガラス張り経営によって社内に周知することで、経営者のリーダーシップが強まるとご指摘しておられます。これについて、私は、中小企業は、できるだけ稲盛さんのご指摘のようにすることを目指すことが望ましいと考えています。ただ、同族会社(≒オーナー会社)の場合、現実的には、100%、社内の情報を従業員に公開することは難しいところもあるので、必ずしも、稲盛さんのいう通りにすべきとは考えていません。ただ、従業員の方から、経営者が公私混同していると思われないように工夫することは望ましいことに変わりはありません。

そして、このような姿勢は、銀行からも評価されます。それは、感覚的に理解していただけると思いますが、銀行が評価するポイントは、透明性が高いことよりも、社内の財務情報が迅速に把握できる体制になっていることでしょう。そして、多くの中小企業では、透明性が高くないというよりも、財務情報を迅速に把握できる仕組みを構築していないため、結果として、財務情報が不透明になるのだと思います。したがって、社内の財務情報の迅速な把握は、自社の事業改善のための情報を得たり、銀行からの評価を高めたりするだけでなく、従業員からの信頼を得、士気を向上させるためにも重要と言えます。

2023/11/8 No.2520